本教の収入に就て

世の中は実に面白いものである。それは時々各有力方面の人が、本教の収入を調査しようと、彼手此手で苦心してゐるという事をよく耳にするが、之等は何の為かは知らないが洵に御苦労様である。之に就て言いたい事は本教は真面目な宗教であって闇屋でも高利貸でもない。ただ神命のままに世を救い、人類の幸福を念願する以外何物もないのであるから、本教に対し疑念を持つ人達は他愛のない連中で、インチキ新聞や雑誌の興味的記事や、商売仇きのような手合が作ったデマなどを信じて、早呑込をしての結果であらう。随而何よりも本教内部へ入って充分調査すれば真相を掴み得るに拘はらず全然触れようともしないで、只だデマを丸呑みにするのだから厄介千万であるから斯ういふ事も一度かいても無駄でもあるまいと思って、此一文をかいたのである。

問題は本教の収入が、他の宗教に比べて多過ぎるというのであるが、これは確かに認めるがさらばといって如何しようもないであらう。本教が特に収入が多いという原因であるが、此世智辛い世の中に何等意味のないものに金を上げるような奇特の人はそうある筈がない。成程世の中にはインチキや邪教もあり、それに騙される人もない事はないがそういう不純宗教は決して長く続くものではない。一時は多少世の中に騒がれるが、何時かは忘れられて了ふ、そういう例も今迄に数多くあるので吾々を目しても一応はそういう観方も無理はないと思ふのである。

話は本論に戻るが、本教の収入が多いという事は、本教の御利益が素晴しい事を物語ってゐる。又御利益の多いという事は、神様の救の力が強いからで、それは最高神が主宰され給ふからである。そうして本教の方針として決して搾取手段は用ひない、献金は凡て自発的で自由である。処が医師から死の宣告を受けた者が助かったり、数十年来の難症が短期間に全治したり、病人の絶えない家庭が健康家庭になったりする以上、その絶大な感謝感激は止むに止まれない其結晶が献金となるのである。之等体験者の涙の滲むような報告はおかげばなしとして本紙に載せ切れない程来るので、此記事を一読しただけでも右の言の些かも偽りのない事を知るであらう。

右おかげばなしを読めば、その感謝の気持は例外なく自分と同じような病苦に悩んでゐる者に知らしたいという熱意が泌み出てゐる。又本教が病無き世界、現世に地上天国を出現すべき一大経綸を現実に行ってゐる以上、その援助こそ之程生甲斐ある聖業はないと信ずるから、余裕ある人はその報恩の誠をこめて献金したいのは寧ろ当然というべきである。恐らく濁世の世に此様な精神美は実に賞讃に価するものがあらう。然るに之を目して迷信とか邪教に溺るるとかいう非難を浴せる人達は、知らぬ事とは言い乍ら全く盲目であり、寧ろ哀れむべき人間としか思えないのである。処が斯ういう人々こそ救う必要があり、信徒が一団となって日夜奮励しつつあるのである。現在本教が地上天国模型を造るべく、箱根熱海の景勝地に頗る大規模な造営をしつつあるのもそれが為で、大部分は信徒の勤労奉仕で、皆人から何等の援助も受けず、手銭手弁当で、朝から晩まで営々汗して働いているその崇高なる態度を見れば、何人と雖も感激胸に迫るものがあろう。それも無理はない、何しろ死ぬべき生命を助けられたのであるから、その生命こそ神から与えられたものである事を、深く肝に銘じている以上、その熱誠も並々ならぬものがあるのである。

以上によってみても、本教の収入が多ければ多い程救はれる者が多い結果になり、それによって天国的善美の世界が作られるのであるから、此実状を知ったなら何人と雖も大いに祝福すべく思うであろう。もし知ってなお反対の人は、気の毒乍らいつかは滅ぶべく運命づけられたる人というより外はないであろう。

(救世五十六号 昭和二十五年四月一日)