不可解な政党人

日本の政党人をみると、実に奇怪極まる感がするは吾等のみではあるまい。それは何かといふと、自党の言は何事も正しく、他党のそれは何事も間違ってゐると決めて了ふ態度である。従而他党が如何に良い意見を吐いても全部といいたい程否定する。他党の政府が如何に善政を行っても必ず悪政と決める。理屈も何もあったものではない。まるで馬鹿の一つ覚えのように、敵党に非難を浴せる外何にも知らないようである。而もその場合、相手に対し怨み重なる仇敵のように憎々しい言論を振う。之をみる国民は常に不快を感ずると共に、一面心細い気もする。というのは政党人のあまりに雅量の乏しい事と、党の利害のみを本意としすぎる事で、国民の利害などテンデ関心を持たないやうに見えるからである。

よくアメリカ等では、敵党の意見も正しければ賛意を表するという事を聞くが、実に羨しい限りである。随而、仮令敵党の意見であっても、是は是とし非は非とする、公平な観方をする態度こそ国民等しく要望して歇まない処である。

又反対党の政府となると、それを倒そうとするのみに汲々としてゐる。時の政府の政策となると、聊かの欠点でも容赦しない態度は実に小乗的である。今少し寛容な態度で眺める余裕があって欲しいと思うのは、誰しも同感であらう。故に政府に些かの失敗でもあると鬼の首でも取ったように騒ぎ立てる。之等を見る時日本の政党人なる者は国家を善くし国民の幸福を増進する等は後廻しとし先づ敵党を攻撃し、ただ内閣を倒し政権にありつけばいいとしか思はれない。それが彼等の方針としてゐるようである。

何よりも国会の醜態状態をみればよく判る。攻撃の為の攻撃、揚足とり、弥次、喧噪はては腕力沙汰にまで及ぶというので実に視るに堪えないものがある。全く斯ういう議員によって政治が行はれるとすれば、不幸なる者よ、汝の名は日本国民なりといいたい位である。

(救五十四号 昭和二十五年三月十八日)