救世教の名に就て

メシヤに就て、出版部客員松井誠勲氏が該博なる蘊蓄の下に次号に詳細解説される事は喜びに堪えないのである。無論読者もメシヤの起源を知りたいと渇望してゐるに違いないからである。勿論私と雖も右によって初めて知った位であるが、そのようなアヤフヤな考えで救世(メシヤ)教の名を冠したのは軽率と思うかも知れないが、それに就て述べてみよう。

いつも言う通り、私は神の啓示によって具体的に表はすのであるから救世(メシヤ)教の名もそうであって、神様から救世教の名の啓示があったのである。然し救世教では漢字であるから東洋に限られる、どうしても全人類を救ふにはそれに相応する意味を表はさなければならない。それが為、救世(メシヤ)のフリ仮名を付けたのである。

以上の意味であるから、メシヤとは救世の意味だけであって、今後の活動に適合する為のもので他に意味はないので其事を茲に断わっておくのである。人によってはキリスト教に関係のある名称だから、時局便乗主義からと思うかも知れないが、そういう点は些かもないのである。

(救世五十号 昭和二十五年二月十八日)