本農法の技術面その他

本農法の原理は大体分ったであろうがこれを実行するに当って知っておくべき主なる点を書いてみるが、別項多数の報告にもある通り、最初は例外なく苗が細く色は黄色く、実に貧弱なので悲観すると共に、近隣の人々や家族達から軽侮、嘲笑を浴びせられ、忠告までされるので、迷いが生じ易いのも無理はないが、何しろ信仰の土台がある以上、歯を食いしばって堪え忍んでいると、その時を過ぎるや漸次持直し、ヤレヤレと安堵する。然も収穫となるや案外にも幾分かの増収にさえなるので、ここに驚きと共に喜びに蘇生する、という事実は一人の例外もない。

これを説明してみれば斯うである。初めの貧弱であるのは、勿論肥毒の為であって、丁度麻薬中毒者や酒呑と同様、廃めた直後は一時元気が失く、ボンヤリするようなものであって、それを通り越せば漸次普段通りになり、それから年一年良好に向い、数年経た頃は、苗は最初から青々している。これは肥料の無くなった証拠であるから、斯うなったらしめたもので、反十俵以上は間違いはない。これを見ても如何に肥毒の恐ろしいかが分るであろう。そうして特に重要な事は連作である。それは米なら米と、一種類を続ければ続ける程、土はそれに適応する性能が生まれ、漸次旺盛となるのである。これをみても土の性能こそ実に神秘霊妙なものであって、これがXである。

故に出来るだけ土を清浄にし、連作主義にすれば年年収穫を増し、反二十俵以上も敢えて夢ではないのである。それだのに何ぞや。全然逆に土を汚すことのみに専念し、多額の犠牲を払うのであるから、何と評していいか言葉はない。これに就いて昨年の凶作で分った事は、肥料を多く施した田程悪い事が分り、幾分目覚めたようだが、この位な事ではまだまだ前途遼遠であろう。

次に技術面であるが、知らるる如く現在の水田は、長年の肥料の為表面は肥毒の壁のようになっているから、これを突破って天地返しをする事であるが、これも深すぎても浅すぎてもいけない。その土地にもよるが先ず一尺前後位がよかろう。その際客土を使えば尚更いい。それだけ浄土が増え、肥毒が中和されるからである。又株間も一尺前後がよく、二、三本植がいいようである。併し技術面はその土地の気候や状態にもよるから、適当に按配する事である。次に藁を使う事は廃めた方がいい。何よりも土以外の異物は決して入れないようにすべきである。では何故藁を使ったかというと、これには訳がある。日本が占領当時、占領軍の規則の中に、農作物は肥料を施すべしとの条項があったそうで、それを利用し当時無肥料栽培の名称であったのを種に、金銭を強請ろうとした奴がいて、あわよくば本教を潰して信者を獲得しようとする企みも背後にあったようで、危険であるから、私は自然農法と改め、肥料として藁を使わせたのである。

次に二、三注意したい事は、今だに報告書の中に浄霊とか御守護などの言葉があるが、宗教臭くてはいけないとして、昨年の特集号にも出した程であるから、今後は充分注意して貰いたい。というのは入信しなければ増収が出来ないとしたらそれだけ普及に影響するからである。又事実からいって信仰なしでも無肥料にさえすれば五割や十割の増産は確実であり要は今日の日本を一日も早く救わねばならないからである。 今一つ言いたい事は、本農法は独り米の増産のみではない。こういう素晴しいプラスがある。それは現在硫安製造に使う電力の使用量は、日本全体の半分弱という事で、若しそれを廃めるとしたら、現在の電力で充分間に合い、尚余るとの話をこの間専門家から聞き、私は驚いたのである。とすれば本農法を全農民が実施する暁、米の輸入はなくなり、肥料も要らず、農民の労力は半減し、電力は余るとしたら、その全国家経済に及ぼす利益たるや、到底計算は出来ない程であろうから、これだけでも日本は一躍世界一の平和裕福な国家となるのは太鼓判を捺しても間違いはない。

最後に今一つ驚くべき事がある。それは言う迄もなく肥毒の害は独り作物のみではない、人体も同様である。近年寄生虫が激増し、特に農村程多い話を聞くがこれは都会人はパン食が多く、農民は米食が多い関係によるのであろうが、これに就いての好適例がある。その報告と写真を下に掲げるが、これを見たら何人も慄然とするであろう。故にこの面からいっても、有肥栽培の害毒がよく分るのである。

(栄光二百四十五年 昭和二十九年一月二十七日)