光に就いて

我救世教は光の宗教であるのは今更言う迄もないが、面白い事には余程以前から私の事を世間ではお光様と曰っている。この言葉は私が言い出したのでもなく、信者が曰ったのでもない。では誰が言い始めたかというと、忘れもしない数年前、静岡新聞に載っていた本教記事の中にお光様と出ていたので、私はハハア巧い名を附けたものだと思ったが、それから世間で言うようになったのである。それに就いて事実時々光を見た御蔭話があるが、左に載せた話は小学五年生の子供が見た光の数々であるから、大人が見たよりも潜在意識がないだけ、余計信を措かれるというもので、特にこの文を添えたのである。(左の文がそれで、祖父なる人の数々の御蔭話は、地上天国へ載せてあるその中の一節である)

御守様を戴いてからの二カ年

(本文省略)

(栄光二百二十二号 昭和二十八年八月十九日)