迷信時代

現代は迷信時代といったら、智識人は怪訝な顔をするであろう。中には救世教という駈出し宗教のくせに“アメリカを救う”とか“結核信仰療法”とか“自然農法解説書”などと次々一般人の読書欲を刺戟するような、巧みな題名を附け、宣伝を兼ねて大いに売らんとするのであるから、中々抜け目のない行り方だと大抵な人は思うであろうし、又そのような噂もチラチラ耳にするが、併しこれ等の本を初めから終りまでよく読めば、全然見当違いをしていた事に気が附くであろう。だが余りに飛躍説なので、一時は何が何だか戸惑いするであろうが、ジックリ考えてみれば理屈に外れた処は些かもなく、然も裏附としての実證まであるので、成程と承認しない訳にはゆかないであろう。

そんな訳で本来ならば、医学者も農学者も何とかして反駁し、詰問してやろうと思うであろうし、私もそれを期待しているが、今日迄そのような気振も見えないのであるから、負惜しみではないが些か張合い抜けがするのである。最初私は殊によると問題になるかも知れないとの懸念もあったが、それは全然なさそうである。正直にいうと問題になれば結構である。というのはそうなれば本は大いに売れるに違いないし、売れるだけは読む人も多いから、それだけ救われる人も多い訳である。そうして今迄発行した本は、健康と食糧に関するものであるのは、人間の生活上この二つが最重要であるからである。この二大問題さえ解決出来れば、残余は派生的問題に過ぎないから、自然に解決されるのは勿論である。

右の外種々の問題に就いても、何れはその本も出すつもりだが、それは別として茲で右の二大問題に就いて論じてみようと思うが、先ず現代を公正に批判してみると、恐るべき迷信時代といっていいと思う。勿論その一つは医学であるが、これ程大きな迷信は世界肇って以来、未だ嘗てないであろう。即ち新説の発表、新薬、手術、その他の物理療法にしても、悉く迷信ならざるはなしである。というのも当然であって、何しろ肝腎な病原が全然分っていないからで、徹頭徹尾暗中摸索的である。処がそれを進歩したと錯覚しているのであるから、実に情ない話である。従って病気の治らないのも当然である。つまり医療は治りそうにみえるだけの事で、実際は全然治らない。それに気が附かないだけの事である。つまり症状にのみ心を奪われて、症状だけを治そうとするので、その症状の発生すべき根原が分らないのである。丁度木の葉が枯れるのは、根に異常があるからで、それが分らないのは根は土に隠れて見えないからで、無いと思って葉のみの研究に耽っているので、その無智哀れむべきで、迷信以外の何物でもないであろう。

(栄光二百二十一号 昭和二十八年八月十二日)