別に医学を悪く言いたくはないが、余り出鱈目の診断と治す方法さえ知らないので、気の毒に思う位である。このような幼稚極まる医療に貴重なる生命を託し、しかも高価な医療代迄払わせられた揚句、反って最初より悪化し、二進も三進もゆかなくなり、死を覚悟するようになるのだから、何といっていいか言葉はないのである。しかもこのような医学の実際を知らず、多数の人達がその犠牲になりつつある惨状を見ては、到底黙視出来ないのである。しかしながらこのように医学の実体を看破し得たことは、宏大なる神智によるのであるから、これを考えただけでも救世教の偉大さがわかるであろう。
以上のように随分医学をコキ下ろしたから、見る人によっては不快を感ずるであろうが、左記の御蔭話を見れば成程と納得するであろう。
身投迄謀り八カ所の病院で
不治の苦悩を十日間にて救わる
静岡県 T・F
謹んで明主様に御守護御礼申し上げます。
私は二七年九月二三日に入信させて戴きましたが、その後日浅き今日までに罪多き身にも数々の御守護を賜わりましたが、その一端を御報告申し上げます。
昭和二〇年頃から足が悪く、永い間悩み続け苦しい毎日を送って参りました私は、身体にも似合わない程太い脚となり、外出する事すらも苦痛で人にみられるのが恥ずかしく、いつも重苦しい日を続けて参りましたが、二七年の二月六日から急に苦痛が激しくなり働くことすら出来なくなってしまいました。この頃から毎日通院して注射をして戴きましたが、痛みは少しもとまらず、三日目頃には通院すら出来ず、激痛の為来診を願いました処「盲腸だからすぐ入院して手術をしなければ足がなおりません」と申しましたので私はびっくりして手術して貰ったのでした。この時盲腸は少しも痛くはなかったのでした。それからは少しよくなったような気がいたしましたが、足の「ムクミ」は相変らずで又次第に痛みますので、病院を替え診察して戴きましたところ、今度は慢性脚気との診断でした。「脚気は永くかかる病気ですから、治るまでには二年はかかります」と申しますので、毎日根気よく通院しましたが何の甲斐もなく、又病院を替えなければならないような医師の言のままに、最後の国立病院に替えました次第でございます。その間八回も病院を替えましたが左の通りでございました。
第一回目M病院で「脚気」、第二回目S病院では「病名不明ですが大体脚気と思う」。第三回目D病院では「脚気」と申しました。第四回目のW内科でもやはり「脚気」といわれ第五回目にN病院に参りましたところ「慢性脚気であるから日赤か大きい病院に行かなければ駄目だ」と申し、E病院に第六回に替りました処「盲腸炎ですから」と手術を受け治らなく、第七回目にI病院に参りましたが「外科に行かなければ駄目です」と申され最後に一番大きい国立病院へ行き血沈を調べた上結核と疑われ「レントゲン」を五、六回撮り、血液検査をする等して診断、最後に「貧血症」と書いて下さったのみでした。
かくいたしましても病気は益々激しくなり、長びくばかりで工場は長く休んでおりますので、工場の人達からは悪くいわれ、脚のムクミはひどくなり、この苦痛を自分ではどうしようもなく、家に帰ろうとしてもそれさえ出来ず、たとえ帰られる状態にまでなりましても両親なき私、せつない毎日を考え通しでした。そして死にたいような気持となり、何回か付近の河に身投げしようと河辺にたたずんだこともございました。けれど今一度よくなりたいと思い直し、今度は焼ヒバシで皮膚を焼きその上にお灸をすえる神灸と申し、今考えますと裸身に汗する程のことをやったのでした。それでも治らず全く行く所まで行ったと申しますか困りきってしまいました。ここに初めて救いの綱は下されたと申しましょうか、付近のAさんに救世教のお話を聞かせて戴き、もう救われたような気持にさえなり嬉しさのあまり直ぐAさんと一緒に教会へ参りました。そして先生から種々と明主様の有難いお話をお伺いしまして御浄霊願いました処、とても脚が軽くなり痛みも勿論大変楽になりびっくりいたしました。当日は行く時には歩けなかったので自転車に乗せて戴いたのでしたが帰りには歩いて帰らして戴き、三日目には再び工場で働くようになり、一〇日間御浄霊して戴いたのみで、あれ程ひどかった脚のムクミもとれ、苦痛もすっかり治ってしまい、私の六年間のこの永い悩みを御救い戴き、しかもこの短時日に!この嬉しさは何と御礼申し上げてよいかほんとに感謝感激でただ一杯でございます。御浄霊を戴く一回毎に救われて行く様が余りにもはっきりわかり、この時の嬉しさは筆舌に尽されないものでございました。
かくして私は明主様の御救いを戴き、その上一〇月一六日には初めて熱海に御参拝までさせて戴き、厚く厚く御礼申し上げます。
今後はひたすら地上天国建設に御奉仕できますよう励まさして戴く覚悟でございます。
明主様有難うございました。
(栄光百九十七号 昭和二十八年二月二十五日)