健康は一切なり

健康とは勿論病なき人間をいうのであるが、之に就て不思議に思う事は宗教学者やジャーナリストなどは、病気治しなどに力を入れている宗教は現当利益が本位であるから、高級宗教ではないとの説を唱えるが、之程間違った話はあるまい。言う迄もなく人間と生れ、社会生活を営む上に於て病程邪魔をし、苦しみを与えるものは外にないのは言う迄もない。そうして今社会を通覧する時、不幸や悲劇が起る原因をよく調べてみると、必ず根本は病気である。恰度犯罪の裏には女ありというように、悲劇の裏には病ありと言ってもいい。此様に病のない健康人間が増えるのと正比例して不幸な人間が減ってゆくのは絶対間違いないのである。之は個人の話だが実は国家社会から言っても、之程マイナスはあるまい。結局は病気が因である。

本教モットーである病貧争絶無の世界といっても、病気さえ解決出来れば、貧も争も解決されるのは勿論である。之は多く説明の要のない程明かであるが、只病気といっても肉体のみではない。精神的病気が今日の世界としては、最も大きな問題である。彼の戦争であるが、之とても戦争を起す者と、防止する者とは全然反対であるし、又戦争を起す発頭人と、駆り立てられる人民とも違っているのは勿論だから、要するに戦争を起そうとする偉い奴が一番悪いのである。そういう偉い奴の本心を晒け出してみると斯うであろう。つまり欲望の強すぎる為、普通人なら満足出来る位の成功をしても、並外れて手腕があり、自信があるので我慢が出来ずトテツもない野心を起すのである。之は史上幾多の英雄、豪傑の事績を見ても分る如く一時は思い通りに行くが、最後は必ず失敗に終っている。

以上のように、己れの野心を遂げようとする反面、多数の人間を犠牲にするので、実に無慈悲である。普通人としたら多数の命を犠牲にし、数限りない不幸な人を作るのであるから、其罪悪に戦(オノノ)きそうなものだが、平気である彼等としたら、如何に英雄でも精神に欠陥があるからであって、一種の精神病者である。又自分さえよければ人はどうでもいゝという愛も慈悲もない利己一点張の人間も、ヤハリ精神の何処かに欠陥があるからである。面白い事には私が長い間の経験によって分った事だが、精神に欠陥のある人は必ず肉体的にも欠陥がある。処が英雄でも悪人でも、非常に健康な人があるのは、多量の毒素があり乍ら、非常に強く固まっている為である。

以上によってみても、宗教でも、科学でも、哲学でも、教育でも何でもいゝ、只人間から病を無くす事が出来ればいゝが本当に病を治す力としては私が有っている(ス)の霊光以外絶対ないのである。

(栄光百八十二号 昭和二十七年十一月十二日)