此標題を見たら、第三者としては余りの意外な言葉に、唖然として私の頭脳を疑うかも知れない。然し私にして初めて言える言葉で、他の如何なる人も言う資格はないであろう。何故なれば現在の世界は其悉くの民族は、現代医学を以て無上のものと信じ、些かの疑いもなく、貴重な生命を委せている現状であるからである。其様な中にあって、私一人が医学を以て罪悪視するとしたら、一体如何なる理由であるか知りたいであろう。
然し乍ら此様な大胆な事を言い得るには、言い得るだけの確信がなくてはならない筈で、今それを詳しくかいてみよう。先づ病気に対する考え方である。私は長年に渉って現代医学の凡ゆる欠点を指摘し、特に薬剤を主とする療法を、縦横無尽に解剖し、医学の如き、だろう的かき方ではなく、断定的に解説するのであるから、如何に確信に満ちているかは言うまでもない。私としても医学に対して敢て怨恨がある訳ではなく、邪念などは寸毫もないのは勿論であるが、私という者は人類救済の大命を神から委任されている以上、区々たる感情や、自己の利害など顧慮する事は出来ないので、ありのまゝの神示を発表するに過ぎないので、此点充分諒せられたいのである。
そうして私は医学の欠陥を知らされたばかりでなく、神から空前の治病力即ち神の霊光放射の方法をも与えられたのであるから、それを自由に行使して、大衆を救いつゝあるのである。之は事実が遺憾なく示している。従ってそれを直接見ないとしても、本教出版物に御蔭話として、無数に発表してある報告を一読すれば、一点の疑う余地はあるまい。先づ其効果を正直にいえば、医学の治病力一に対して、本教の治病力は百といっても些かも過言ではない。では何故其様な素晴しい治病成績を上げ得るかというと病原が正確に判ると共に、右の如き偉大なる神霊光線による為である。
之によって之を見れば、現代医学では病気は決して治せないのに、治せるものと誤信している事である。其為全世界の専門家は凡ゆる努力を傾け、病原の発見や治療に予防に懸命になっており、特に新薬の発見は並々ならぬ研究と発見に智能を絞っているに拘わらず、其効果たるや悉く一時的であるのは、何よりも後から後から新薬が出るにみて明かである。処がそれに目覚めない医学者は、現在の学理を進歩させさえすれば、解決出来るものと信じている其盲点で、之を私からみれば実に無益な努力を続けている勿体なさである。いつもいう通り、医療は病毒を固めて出さないようにし、一時的苦痛緩和を治るものと錯覚している事で、真に治る方法である病毒を溶解し、排泄させる事を知らないのである。尤も知っても方法がないから、どうにもならないが、何よりも現代医療は治るように見えても治らず、寧ろ段々悪化の経路を辿る事で、而も医師も治そうとして熱心に治療するに拘わらず、結果は逆であるのは勿論である。又医師が見込をつけても見込通りになる事は滅多にないと共に、患者に色々訊かれても、明瞭な答は出来ないのは、誰も知る通りである。
此様な事は吾々が言わずとも、医師諸君も充分知っているであろう。従って医師諸君も医療では余りに治らず、予想が外れたり、患者から不平を言われたりするので、其苦衷は容易なものではないと、以前某医博の述懐を聞いた事がある。そうかといって外に病気を治す確実な方法も見当らないから、不満乍らも医学を棄てる訳にもゆかず噛りついているのが現状であろう。
茲で言わなければならない事がある。それは本教浄霊に来る患者の数は年々増加して、今日は全国で非常な数に上っているが、重難症患者は一人の例外なく、医療の結果そうなったというのである。之等を吾々からみると、最初から何もせず放っておけば已に治っていたのであるが、医療を受けた為に悪化に悪化しつゝ重難症となり、遂に死の一歩手前に迄追い詰められた、此種の人の如何に多いかは、膚に粟を生ずる位である。特に薬剤を多く用いた者程、悪化の度も甚だしいのであるから、知らぬ事とは言い乍ら由々しき大問題である。吾々は、いつも新規の患者に向って言うのである。貴方達は薬という毒を服んで、危い処までになり、本教へ縋って来るのであるから言わば自殺未遂者である、というと、患者は目を丸くする。従って本当の事が分ったら、医学はプラスよりも、マイナスの方がどの位多いか分らないのであるから、標題の意味は分ったであろう。
(栄光百七十二号 昭和二十七年九月三日)