昔から宗教に妨害は附物とされているが、その中の一番大なるものは、彼のキリストの受難であろう。其外釈迦に提婆なども有名なものだが、日本に於ても法然、親鸞、日蓮等の受難も衆知の通りであるし、近い処では天理教、大本教、人の道等もそうであったと共に、本教も御多聞に洩れず、今迄にも何回となく弾圧され新聞を賑わした事は、新宗教中の有難くもない王座を占めていた訳である。そうして面白い事には、其宗教が将来性があり、価値の高いもの程正比例的に、妨害も強い事実である。というのはどういう訳であるかをかいてみよう。
言う迄もなく、宗教なるものは霊主体従の法則により、霊界に於ける神々が主神の命に従って、時と所と民族に適応する救いを行うので、キリスト教、仏教、マホメット教の如きは、其最大なものである。勿論宗教の建前は善を諭え、人類社会を天国化するにあるので、人間からみれば結構ではあるが、邪神の方では全然反対である。というのは邪神は悪の人間を作り、苦悩に充ちた地獄社会を作るのが目的であるから、絶えず正神と闘っている。之が霊界の実相であって、其まゝ現界に映るのであるから、見らるゝ通りの地獄世界である。
そうして小善には小悪の邪神が妨害し、大善には大悪の邪神が妨害するのは勿論である。此様な訳だから我メシヤ教に対しても、絶えず邪神界の頭目が妨害に当っている。何しろ歴史肇って以来ない偉大な宗教であるから、邪神界は大恐慌を起している。此事は細大洩らさず私には分るが、信者の方でも各地に於て神憑等によって、其片鱗を知らされているであろう。そうして今最も活躍しているのが赤龍と黒龍の頭目で、之が多くの眷族を使い、共同的に妨害しているのであるから堪らない。其争闘たるや血湧き肉躍るの概がある。それらを赤裸々にかきたいが、今は神様から止められているので、残念乍ら、何れ時が来れば発表するつもりである。処で何程邪神の頭目が大々的に妨害しようとしても、コチラの方には金剛力を揮われる最高の神様が附いているから、一時は負けても最後は必ず勝つので心配は要らないが、勝つ迄の苦しみは相当なものである。然し随分妨害され乍らも、順調に発展しつゝあるのは見らるゝ通りである。茲で知っておくべきは邪神の特長である。それは驚く程の執拗さで、幾度失敗しても決して懲りたり諦めたりするような事はない。どこ迄も彼の手此手でやってくる。其点迚(トテ)も人間では想像もつかない程である。而も其無慈悲残虐なる悪魔的心理に至っては、形容の言葉すらないので、之が邪神の本性であるから致し方ないのである。そうして悪魔中の力ある奴程、人間界の社会的地位ある者やインテリゲンチャ、ジャーナリスト中から選び憑くのであるから、此真相が分ったなら愕然とするであろう。
従って斯ういう凄い悪魔と、それ以上の神様との闘いが始終行われているに拘わらず、見えざる霊界の事とて知る筈もないから、人形同様に躍らされているのが万物の霊長様である。勿論当事者である私にはよく分るから、恐ろしい事もあり、面白い事もあり、愉快でもあるので、此心境のみは如何なる人でも分らないのである。而も今度の御神業に於ける正邪の戦いは、古往今来嘗てない程の千変万化、虚々実々の大芝居で、只神秘と云うより外はないのである。処でそれに就ての大きな問題は、地球の一大転換である。それは昔から今日迄の神と悪魔の戦いで即ち夜の世界であったからで、神の方が一旦敗北すると、挽回に相当の時を要したものが、最近に至っては非常に狭まって来た事は信者も知る通りである。処が今や昼の世界に移りつゝあるから、邪神の力は段々弱まって来た。其為挽回の速い事は、反ってプラスになる場合さえある位で、それは事実が示している。一昨年五月のアノ事件は、一時は致命的と思われる位の打撃を受けたので、世間では再び起つ事は出来まいと思われたに拘わらず、僅か二年を経た今日、箱根熱海の地上天国の進捗や、教勢の拡大等誰も予想のつかない程の発展振りである。従って若しアノ事件がなかったとしたら、此何倍の発展か分らない筈である。というのは神様の威力が非常に強くなった証拠であるから、何といっても今一息という処まで来ているのである。何れは全世界から引っ張凧にされる時の来るのは必定である。尤も世界人類を救うという空前の偉業であるから、之位の妨害は当り前かも知れないとも思っているのである。
(栄光百七十二号 昭和二十七年九月三日)