本教と社会事業

よく本教へ対して、メシヤ教は割合社会事業に冷淡だが、どういう訳かと訊く人があるが、之は実に可笑しな質問であると思う。今それを詳しくかいてみるが、本来宗教と社会事業とは、似て非なるものである。何となれば宗教は精神的救いであり、社会事業は物質的救いであるからである。といっても実際を見れば、今日少し大きい宗教になると、其殆んどは社会事業を経営しており、それが一般常識となって了っている位で、本教がそう見られるのも無理はないが、然しよく考えてみると、何程立派な宗教でも肝腎な宗教的救いの力がないとしたら、止むなく第二義手段として、社会事業を行るより外意義はないであろう。つまり社会事業によって宗教的無力をカバーする訳である。然しそうはいうものゝ現在の如く救済を要する不幸な人々が、あり余る程出て来る社会としたら、理屈はどうでも早急に大量に救わなければならないのは勿論で、其点からいうと宗教を背景とした方が効果的であるから結構といってもよかろう。然し本教に至ってはそういう宗教とは根本的に異っているので、其点詳しくかいてみよう。

それは何かというと、本教の方針は社会事業の如き末梢的救いは、他の機関に委せておけばいいとして、本教ならでは出来ない救いを実行するのである。恰度犯罪者の取締りに対しては、警察も牢獄もなくてはならないと同様の意味が社会事業であろう。つまり現われた結果を対象としての手段であって、言わば膏薬張りにすぎないのである。従ってどうしても犯罪の根本に遡(サカノボ)って根原を除かない限り、真の解決とはならないのである。処が其本源が分らない為か、分っても其方法が物質以外の、嫌いな宗教であるからでもあろうが、相変らずの手段を繰返しているに過ぎないのである。では其方法とは、言う迄もなく人間の魂の入れ替えである。悪玉を善玉にする事である。近頃医学でもよくいう病気になってからではもう遅い、どうしても発病しない内に方法を講じておくのが本当だ、つまり予防医学と同様であろう。処が本教は自由に魂の入れ替え即ち魂を善化する事が出来るのである。それが本教の浄霊法であって、何よりも本教刊行の栄光新聞の御蔭話を読めば、思い半(ナカバ)にすぎるであろう。毎号病気、災害、貧乏から救われた幾多の奇蹟が満載してあり、一読驚異の外ないものばかりである。而もそれが日に月に漸増しつつあるので、近来は紙面の狭隘(キョウアイ)に困っているのである。勿論其悉くが本人の手記になるもので、其感謝感激の情は涙なくしては読まれない程で、中には若し本教を知らなかったら、今頃は社会事業の御厄介になっていたに違いないと、述懐(ジュッカイ)する者すら少なくないのである。之こそ予防医学ではない、予防宗教である。そうして吾々の理想とする処は、社会事業の必要のない社会を作るにあるので、之が実現されてこそ真の文明世界であろう。処が本著の説に従えば必ず実現するのであるから、如何に偉大なものであるかが分るであろう。

以上の如く、社会事業を大いに必要とする不幸な社会としたら、現代文化のどこかに一大欠陥がなくてはならない筈である。では其欠陥とは何かというと、他にも色々あろうが何よりも本教の如き驚異的に社会福祉に貢献している救いに対し、政府も識者も知らん顔の半兵衛である。勿論気附いてはいるのであろうが、察するに宗教なるが故にという取るに足らない理由でしかあるまいから、之が抑々の盲点である。医師に見離された病人がドシドシ治る事実だけに見ても、良心ある者ならジットしては居られない筈である。それを精神作用位に片附けて了い、進んで研究しようともしないのであるから、何といっていゝか言葉はないのである。

序だから、本教が今度造った美術館に就ても一言したいが、之こそ立派な社会事業である。それは昔からの名人巨匠が、苦心して作った日本の誇りともいうべき立派な美術品が、今日迄は一般人には見られなかった事である。只仏教関係のものが、博物館や京都、奈良等の寺院へ行けば観られる位で、それ以外の国宝級な貴重な美術品など、貴族富豪の邸内深く秘蔵されており、それも極く親しい者だけにしか観せないのであるから、つまり美術の独占であった。処が民主日本となった今日としたら宥(ユル)さるべくもない。という意味で私は此弊風を打破し、何人にも気安く自由に観られ、楽しまれる美術館が必要と思い、長年念願はしていたが、何しろ莫大な費用と、幾多困難な条件も伴うので容易な業ではない。というのは政府でさへ以前から其様な計画はあったようだが、今以て手を染めない処をみても明かである。而も個人や団体としては猶更そうであろうし、そうかといって企業的には採算が採れる筈もないから、之も見込はあるまい。処が幸いにも私は宗教家である関係上、多数信徒の奉仕的援助も大いに与って、兎も角実現が出来たので、喜びに堪えない次第である。勿論国としての欠陥を幾分でも補い得ると共に、現在最も必要な社会事業の一つとして、世間も認めざるを得ないであろう。そうして今一つの重要な事は、本美術館は位置といゝ、環境といゝ理想的であるから、之から増えるであろう観光外客に対しても、日本文化の優秀性を紹介する上に於て、相当な貢献が出来ると思うのである。

(栄光百七十一号 昭和二十七年八月二十七日)