本教に就ては、敢て独りよがりは言いたくないが、本教以上の救いは、世界にない事は確かで、何よりも事実がよく示している。下の御蔭話は、凡ゆる療法や宗教に助けを求めても本当に治るものは一つもなかったので、遂に本教に縋る事となって救われたのであるから之を見ても多くを言う必要はあるまいと思う。
十三年間の喘息から救われて
熊本県 N・M
明主様、謹んで御守護の御礼を御報告させて頂きます。私は昭和二五年三月入信させて頂きました者で御座います。一九歳の時から急に気管支喘息にかかり苦しさの為ありとあらゆる治療を致しました。初めの中は薬品又は注射ばかりを使って居りましたが、一時的で何の効果もなく、次には灸が良いと人から聞き、痛いのを辛抱して焼いて貰いましたが、それも大した効果はありませんでした。灸も一年ばかりはしてみましたが少し無理な仕事をするとその翌日より苦しみが起りますので、何と情ない体だろう。何をしても毎日元気で働かれる人の姿を見ては何時も羨しくて、どうしてでも元の体に成り度いとあせって居りました処、「神信心の道に這入れば必ず元気になる」と聞かされて今度は不動様へおすがり致す気持になりました。ところがとても難行で一番寒い寒中に滝場へ行ってお滝を一日三、四回いただくのですが、山の中にある大きな滝でとてもその水の冷い事話になりません。今思うと身がぞっと致します。その冷い滝に打たれ乍ら「ナムアミダブツ」の一点張りでうつぶしておすがりするのですから、顔は腫塞がり実につらい難行をしましたがとうとう救われず、又天理教へ天台宗へと恥ずかしい程迷って歩きましたが、「貴女のは、随分しつこい「生霊」「死霊」が憑いているから並大抵の事では治らないからより以上に神様の御手伝をしなければ」とのおぼしめしに言われる儘に考え考えしてみましたがどうしてもおかげを頂けませんでした。もう仕方がないと思い、最後の手段として咽喉の切開手術を致すべく入院治療を致しましたところ、其後満六カ月というものはどんな無理をしましても風邪を引いてもぜんぜん起らなかったので、これで私も御蔭で元の身体になったと喜んで居りました矢先に、又も起り、もう死ぬより外に道はないと、其事ばかり考えて日々を暮す様に成り、家族の者も心配して居りました。
ところがKさんという人が「お守を頂いたら確かによくなると思うが、這入って見ないか」と奨めて下さいましたが、今まであれやこれや良いと聞いた事はして参りましたのでどうしても信ずる事が出来ませんでした。前記のKさんが私の父と友達の関係で度々遊びに来られ「自分も病気がお守の為に良くなったから、だまされた積りで入信して見ては」と余りの熱心にすすめられますので私も心動かされ「もう一度だけだまされてみよう」と思う様に成り此お道に入らせて頂きました。
今迄の信仰は自力信仰で随分苦労をしましたのに、唯手をかざして居るばかりでどうしても病気が治る訳はないと思い乍ら、有難いお話を聞かされるのを疑い乍らも毎日浄霊を頂いて居りましたが、矢張り前と相変らず一週間乃至一○日目には苦しみが起りました。「御浄化だから喜びなさい」とI先生が言って下さいますけれども寝ても起きても居られぬ苦しみに喜ぶどころか「又だまされたのだろう。今の中にやめよう」と何度考えたかわかりませんでした。でも先生から「大抵三カ月位したら治りましょう。薬や注射は出来る丈しない方がよいのです」と聞かされてから、私は言われる通りしなければ気の済まない性質で御座いますから、いくら苦しく共薬注射は止めて半信半疑で毎日御浄霊を受けて居りました。その頃から中教会長先生に大概月に一回御出で頂きお話を聞いた時は治る様な気が致しますけれどもお守を頂く気にはなりませんでした。が日が経つにしたがって病気の工合も前の様にはなくなり、初めてお守を頂く気になり教修を受けました。
先生のお話に「一年もしたら立派に元気になりましょう」と言われた事を楽しみに月日の経つのを指折り数えて過しました。待ちに待った一年はたちましたが御浄化は相変らずで、先生がお出下さる度ごとに不平不満ばかり申し上げ、自分の罪の多い曇りの多い事はわからず、神様に不足をこぼして居りました事を今思い出しては恥ずかしく何と御詫び申し上げて良いやらわかりません。何卒御許し下さいませ。
唯今では病気もすっかり良くなり、毎日とても元気でどんな無理をいたしましても起りません。之も偏に明主様の御霊徳の賜物と感謝で胸が一杯で御座います。今後は一日も早く一人でも多くの人々に尊い御道を御伝えさせて頂く心算でございます。此の上とも御守護の程御願い申し上げます。
明主様有難う御座いました。
三重県 H・F
昨年一一月二〇日入信以来頂きました数々の御守護を、拙文乍ら御報告させて頂きます。
(一)入信後一週間目のこと、午後より知人と出掛ける約束をして居りましたが何うしても気が進みませんので、娘を私の代理に行かせました。そうして何時もの部屋で針仕事をして居りますと、急に天津祝詞を奉誦したくなって参りましたので、膝の上に半紙を敷きその上に本を置き、祝詞を奉誦させて頂きました。三回目の終り頃へ参りました時、主人の経営して居ります製材工場の方で、 突然ジャンジャンジャンジャンと大変な音が致しました。瞬間ハッと致しましたが祝詞を中途で止めては勿体ないと思いましたので終り迄奏げさせて頂き、済むなり工場へ飛んで行きますと、それは帯鋸のはずれた音でした。其処に居合わせた人達は、「頭の上に落ちて来る鋸をみた時、 従業員はテッキリやられたと思ったのにかすり傷一つ負わなかったのです」と話してくれました。私は余りの有難さに思わず東を向いて明主様に、御守護の御礼を何回も申し上げました。
それ以来ずっと工場全体に御浄霊をさせて頂いて居ります。
(二)主人は神奈川県の川崎に営業所を持って居りますので、月に二、三回はそちらへ出張致します。予て『栄光』新聞により奇蹟の多いことは知っていましたが、信ずることが出来ず「本当に神様なんかあるのかなー」と言って居ました矢先、三月二日川崎でスクーターを購入し、その新車に主人の弟と相乗りで町ヘドライブに出掛けましたが辻へ来て曲ろうとすると、 思う様にハンドルが切れずうろたえている間にスクーターもろ共角の雑貨店へ飛込み、陳列を突倒しスクーターの前の泥除をひん曲げて了いました。それに何うでしょう、陳列のガラスは一枚も壊れず、自分達二人は怪我一つなく、然もその店には入口が二つあってもう一つの入口には客が五、六人も居り店員も居ったのです。私は此の事を主人から聞かされた時余りの有難さに暫く頭が上りませんでした。
(三)六月一〇日には夕刻より一〇歳の娘がお多福風邪の御浄化を頂きまして、私は一日に何回となく御浄霊をさせて頂き、信者の皆様にもお世話になり、僅か四、五日でよくして頂きましたので、子供と共に様の御神体へ御礼参りさせて頂きました。
(四)五、六日学校へ通って居りましたが、朝から頭とお腹が痛いと言って床を離れませんので、早速近所の信者様の応援を求め御浄霊させて頂きますと、二日ですっかり快くして頂き、今は元気に通学致して居ります。
明主様、誠に有難う御座居ます。愚な私で御座居ますが、何うか一生懸命お道の御用に立たせて頂けます様御守護お願い申し上げます。
島根県 K・H
謹んで賜わりし御守護の御報告申し上げます。過去弘法大師を二十数年間信仰して居りました者ですが、一〇年程前より腰部肩部の関節が痛み出し、日夜苦しみ、灸も弘法灸と申して急所と思う所へすえましたが、効果なく、どうする事も出来ませんでした。精神的な面も急る程捨鉢になりますので持って生れた自分なのだ因縁なのだと何ど言い聞かせた事でしょう。半ば諦めていましたが、忘れも致しません。昨年六月痛い腰を二つに折って、私用の為せめて痛みでもなくなればと、 とぼとぼH町のMさん宅へ行きますと、Sさんと申す方が、Mさんの肩に手を置いて何かして居られるのでてっきり按摩していられると思い、「貴方は按摩がお上手ですね」と挨拶を申しますと、「いや、按摩ではありません」とにこにこ笑っておられます。何ですかとお尋ねしますと「唯こうしておれば万病を治す事が出来るんです」と自信に満ち満ちた御言葉、早速腰の事を話しましたら、「光明如来様ならすぐです」と、早速御浄霊を頂きました。唯手を翳すだけで何が治る、弘法様のお力で治らぬのにこんな簡単な事で、今に手をやいて困るだろう等と疑いつつ御浄霊を約半時間程頂き「腰をのばして見て下さい」早速ぐっと伸して見ると今迄痛くて伸びなかった腰が伸びるのです。思わず喜びの感情はセキ起り、 嬉し涙で一ぱいでした。私が癒すのでは有りません、 明主様の御力なのです」と。 何知らぬ罪深き吾身をも数十分の御浄霊で、十幾年の長年月苦しみ抜いた腰も楽にして頂いた大御心の畏さに、東の空に合掌するのみで御座いました。罪深き此身も尤め給はずて大いなる幸豊に恵まふ
ふと吾に帰りますとSさんの方で「良かったですね、念の為ですが明朝下痢をするかもしれませんが心配ないです。今迄腰を痛めていた毒が出るんですから」との事、帰る道すがら何と晴れやかでしょう。鳥の囀りも四方の緑も総べてが私を祝福して呉れる様な気持でございます。夢ではないかと、何度も何度も腰を伸ばし伸ばし乍ら道行きしあの日の事を思うにつけ、筆舌に現わす事の出来ない喜びと幸福感でいっぱいで御座います。
朝は早速下痢致しましたが、少し痛みもあり朝食もそこそこSさん宅へ出かけ御浄霊を頂きました。御浄霊度に下痢を致し、御浄霊三回四日目の朝は、あの悪魔の痛みは吹き消す如くなくなり、全く救って頂く事が出来ました。早速入信、胸には大愛の御光を受け、 救われた者のみが知る安心立命の世界に浸ったのでございます。 「病気とは浄化なり」との言葉も知らぬ間に自分で体験致し、真理の尊さを知らされ、弘法大師と明主様の御神業等の御教えを聞くにつけ、ほんとに何んの気がねする事なく、おすがりする事の出来る心持になり、ほんとに有難い教修の三日間でした。 其後夫の赤痢を始め数々の御守護を頂き、文字通り光明生活をさして頂いています。
余りにも深く大きな御恵に報ゆるすべとてなく、賤が身ではございますが、いたらぬ乍ら此の大いなる福音を出来得る限り、人々にお伝え申す神の子として少しでも御用に立てばと働かして頂いております。たどたどしく入信の奇蹟を綴り御守護の御礼と致します。
有難うございました。
宮城県 W・T
昭和二五年一月一七日私は心臓神経症という病魔に侵され、突然の事なので今にも心臓が破れるのではないかと、自分乍ら驚き、家内一同にまで、大騒ぎをさせました。心臓の鼓動たるや発動機に例えて見ますと、空廻りする様なものでそれが幾度となく繰返すのでした。三日三晩というものは寝ても眠れず、瀕死の状態で家内には夜も眠らず手厚き看護をしてもらいました。寒中の事故家内もそれが因で風邪を引き、こんどは二人とも枕を並べて家の人達に看病さるる事になりました。 頼るものは医者と薬のみにて、 毎日の様に組合病院の医師に往診して貰い、 一カ月ばかり経過して私の方はどうやら徒歩出来る様になりましたが、それでも時折起りますので不安な日々を送っておりました。其頃今考えて見ますと命の恩人とも申しましょうか、隣家の小母様は二年前より人に知らさず此有難い救世教を信仰して居りましたので、窃かに私にお話をして呉れたのです。「N町にSという先生が居られますから一回診て頂いたらどうですか」と親切に教えて下さいましたので、山道もある一里の道を、休み休み、N町の先生宅に御浄霊を頂きに通いました。二、三日の中は少し苦痛を感じましたが四日目頃より段々と体も楽になり、一週間目には拭った様に苦痛が去りました。
最初は迷信ではないかと疑いつつ御願い致したような訳でしたが、治ったのですから事実なのです。
そこで今一つ不安でたまらないのは家内の病気です。
一カ月ばかりと申すものは三十八、九度の熱が続き、それから三七度に下り、其状態がずっと続いたのです。医師には肋膜炎とまで診断され毎日の様に往診され、 注射はかかさず服薬其の外良いというものは何でもやってみましたが、一向良くならず、衰弱する一方でした。それから医療の方を休む事に致し、私が御世話に成りました、N町のS先生に御出を願って御浄霊をいただき、尚隣家の小母様にも御浄霊を頂きましたので、妻は大変気分が良いとの事でした。S先生の申されるには「兎に角御主人が入信をして神様の御守護を頂かなくては駄目です」と申されましたので、私は一家を代表致しまして同年四月七日入信させて頂き、三日間の教修を受けまして早速御守様を拝受致し、家内に御浄霊の御取次ぎをささせて頂きました。少し気分が良いなあと思うと又激しい浄化が起るのでした。忘れもしません六月一五日発熱が現れまして、夜の一時頃、家内は床よりむっくり起き上り、私も同時に目を覚しました。私は「どうしたん」と声をかけますと「私はとても此処に居られないから外へ行くんだ」と私の止める手を振り切って外へ飛び出し、其場に倒れました。意識不明となりましたので静かに床に休ませましたものの、此時ばかりは是で家内も最後の別れかなアと思いましたので天津祝詞、善言讃詞、御讃歌を奉唱させて頂きました。処がどうでしょう御讃歌を中頃まで奉唱致しました時私の一念が神様に通じたのでしょう今迄意識不明になって居った家内が、ぱっと目を覚し元にかえりました。どうだ先程の事が判って居るかと尋ねますと「さっぱり判らない」との事でした。後で先生に伺いました処「それは霊的で何かの霊が、憑依して居ったので、御浄霊に依って居られなくなり出て行ったのでしょう」。
其頃母は未だ医者信頼の方なので私に黙って医師に依頼しては医療を奨めておりましたが、家内も薬毒という事を余程考える様になりましたので、薬びんは手を付けず、枕元に置いて寝て居りました。処が不思議な事には或朝薬びんの底が抜けてびんは空になって居るではありませんか「ははあ是こそ神様の御知らせではないか」と家内も薬に頼る事を一切止める事に致し、早速御屏風観音様を御奉斎致しました。
それから約一カ年という間は時々の御浄化もありましたが、昨年八月より漸くにして、床より起きる様になりましたので、一〇月家内も入信させて頂き、今日では毎日小鳥や草花を楽しみ、針仕事も出来る様にさせていただいております。私の心臓病、家内の長い間の肋膜炎より救われました喜びを、拙き筆にて述べさせて頂きました。
明主様、御守護を下さいまして誠に有難う御座居ました。
今後は私の様な悩める人々をお導き致し、少しでも御道の為努力させて頂きたいと思って居ります。
(栄光百七十号 昭和二十七年八月二十日)