起死回生の奇蹟

吾々は常に人間の命は、神の御手にあるものと唱えているが、現代科学で固まった頭脳では、到底信じられないのは無理はない。というのはそれ程の奇蹟はキリストの奇蹟以来、二千年に渉った今日まで未だ聞かないからである。処が左の御蔭話は病院内での事実であるから、何としても疑ふ余地はあるまい。一信者にして之程の奇蹟を顕はす事が出来るとしたら、二十世紀の大問題である。処が之は医師の目の前の出来事なので、何と思ったであろうか、聞きたいものである。

二十米の崖より落ちし
瀕死の吾子救わる

北海道 I・T

二六年一〇月一三日、此の日私が外出致すべく用意して居りますと、「小母さん、小母さん、K君が崖から落ちたよ」と驚きに満ちた声で呼びに来ました。

其時の私の驚き、まあまあ悪くすると腕か足でも折ったのではないか、 と思い乍ら急いでついて行きました。 その場所は何時の日にも子供等がターザン遊びをして居る所です。

そこに(高さ約二〇米位)来た瞬間、「しまった」と思いました。初めて事の重大なる事を知り二度びっくり致しました。無我夢中で二〇米位の坂を下って行きました。子供達は、早く降りて居て「小母さんK君はまだ時々息をして居ます」と言うのです。それを聞いて私は顛倒せんばかりに、驚きました。夢中になって石の上に上向けに倒れて居る吾子を抱き起して見ました。「K」「K」と呼べど吾子の返事は有りません。只有るのは真青な顔の油汗と、何時出したか知れない吐血のみです。「K」「K」ああ吾子は早や帰りません。ふと気がついてこのままではどうにも出来ないと知り、付近の人に御願い申して近くの内科医に次に外科医に次に市の専門外科医に連れて行きました。一度、二度、三度、其度毎に医師からは、「此子供はもう私等の手のほどこし様がない」との宣言です。絶望!絶望!刻々と子供は重態になって行きます。その頃より、後頭部の内出血の為か吐血もはげしくなって来ました。医師は「後頭部打撲のためです。この位ひどく強打致しますと、どんな者でも助かる事は、不可能です」との事です。頭は見る見る内に二ツ位に大きくなって来ました。そして朝食の時に食べたものを一緒に吐瀉したのです。医師に「今夜中には、なんとしても駄目です」と、はっきり宣告された時の私達親子の心持は……子供は親の注意を無にしての死です。でも矢張り可哀相で、何んとかしてやりたいと思い、泣く泣く無理にお願いして、入院させて頂きました。やがて死ぬ迄出来るだけの事をしてやり度いと思ったからです。

でも、それは当然この傷に対する処置方のない死を待つばかりだったのです。処置とは名ばかりで、言い訳的に打つカンフルだけです(浄霊を頂くまで三本注射しました)。子供は益々前より強く吐血致します。皆様お赦し下さいませ。

此の時の私は「一〇〇人に一人治っても馬鹿になる」と言うこの傷に対して死を願いました。そして更に信じ切れない奇蹟を願いました。あきらめ乍らも奇蹟だけが心の願いでした。

皆様、この大それた私の気持をお赦し下さい。私はこの気持は親として無理がないと思います。皆様、私は只今余りの幸福さに、喜びに唯こうしてつたないペンを執って居ります。

皆様この奇蹟は終に御座居ました。

メシヤの神様にお救いを頂きました。何日の日だったのかお光様の事を御伺い致して居りました事を思い出したのです。

夫々の医師に見はなされた我が子のために、その奇蹟の御恵を何んとか戴けます様に、と直ぐ私の友人の許に御願いしたのです。

O教会のM先生に直ぐ来て頂きました。

そして何の事はない、只手を空間にかざして御浄霊をして下さいました。その内に奇蹟は次々に起って来ました。医師の言葉で夕刻熱の出るはずの子供に大した熱もなく只吐血は前と同じです。私達は只々神様にお願い致しました。御浄霊二〇分頃より心臓の鼓動もはっきりして来ました。M先生は此の時迄何にも言われなかったが只「Iさん、大光明如来様に御願い致して思い切って御縋り致すのですね。偉大なるメシヤの神様は御縋りした者は見捨てになりませんよ」只それのみです。ああ!その一言、地獄にて仏とか、人を見てこんなに神々しく感じた事は未だ且つて有りません。一瞬にして悲嘆のドン底より安心立命の境地へ……

明主様有難う御座居ます。

大光明如来様有難う御座居ます。一時間二時間次々と奇蹟の連続です。全然意識のない子供ですのに何回かのお小水もはっきり致す様になり、一度もよごしませんでした。徹夜の御浄霊により吾子は死期を脱した様です。 M先生は朝礼拝の為五時頃帰られました。

その後で信者が四、五名程御浄霊に来て下さいました。その頃は、 子供は静かなる寝息の下で安らかに寝て居りました。私共は余りの有難さに只々先生の後姿に合掌致しました。

やがて九時頃先生は御出下さいまして、そして色々の御話や教えを頂き、意を決して退院しました。退院の時は先生自ら信徒と共にタンカをかついで遠い遠い道を吾が家まで運んで下さいました。先生有難う御座居ました。そして、私が二三日入信致すまで毎日先生や信者さんから御浄霊を戴きました。退院致しましてからの子供の様子は、毎日毎日驚く程の治り様でした。之が本当の奇蹟です。

折角御出で下さいます先生や、信者さん方に対して「M先生はO町で一番の悪魔だ、ナイフで切殺してやる」とか「先生の手は熱くて焼けそうだから俺は嫌だ」とか「手から光が出て俺の体が焼ける」とか「先生はいくら嚇かしても平気で居るから、俺は負けて帰る」とか次々と変な事を叫んで居た子供も、一九日を最後にとても静かになり、二一日から忘れて居た学校の事も気が付いて、思い出しては珍らしそうに御話をし始めました。二三日私が御教修頂きましてから益々治り方も早くなり、朝から起きて弟と遊び廻って居ります。昨今では、登校の準備に大童致して居ります。その上有難い事には以前に増して大変温和になった事で御座居ます。全快まで後数日と思います。奇蹟の連続と申しましょうか、その有難い御護りを賜わりました事を私達は此の上なく幸福と深く深く思って居ります。

先生のお話で有りますと私達だけでなく、御先祖様方も御救いして頂けますとの事、益々有難く思って居ります。此の上は一人でも多くの不幸なる方々に御伝え致し、御恵を頂かせ度く思って居ります。

子供の頭のこぶもなくなり、食事も普通以上に進んで居ります。もう本当に大丈夫で御座居ます。

明主様有難う御座居ました。 御礼申し上げます。

広島県 M・S

医師から死を宣告された私でしたが、お救い頂きました喜びを御報告させて頂きます。

私は今迄これという大きな病気もせず世間的にも健康者という方で御座居ました。それですから病気に関し至極無頓着で学窓を後に致し郵便局に勤務致した過去でした。併し如斯私も「人間は四百四病の器」という諺の如く、昭和二六年四月頃より何んとなく身体に倦怠を覚ゆる様になり、胃腹部の苦痛も始まり、足部もはれる等その後は本当に快感だという日が無くなってきました。

医師に診断して戴きましたが病名もはっきりせず、唯医師は「胃腸に蛔虫がいるのだろう」位でした。医学は絶対なりと信じていた私、精神的小康を得て勤務を続けて医師の言う儘に、薬物や注射又灸等色々やりましたが良くなる処か日を重ねるに随って次第に悪化する一方でした。父亡き母には心配かけてはいけないと思い、大した事は有りませんと隠し立てて来た私でしたが、病勢此処迄来ますと母にも病状を話す次第となり、これではいけない、診断が迷っていると思い、八月頃保健所に行きまして診断して戴きました処、医師は「病気が進んでいる。助かる見込がない。これ迄良く放任していたものだ、本当の結核だ」と言われました時の気持、世の中を去って真暗い世界へ私一人寂しく死の旅路に就いた様に思われ、唯々涙のみでした。でもマイシンやパス療法を行えば良くなるだろうと慰められ、医師の言う通り高価なマイシン三五本を打ちました。良くなる処か、声も出なくなり、食事も進まなくなり、起きている事も出来なくなり、一カ月前の面影は過去の夢としか思われない骨と皮ばかりになり、臥床の身となりました。此病気の通例として人からは嫌がられ親類知己友人達よりは身辺より彼岸の人となり、ひがみ憎怨の中に煩悶する事も有り、精神的にも肉体的にも悪化の一路でした。嗚呼病程世の中に不幸をもたらすものが有りましょうか、涙に暮れた毎日で御座居ました。

唯私だけでは有りません。母兄妹と一家には時々刻々暗雲が棚引き、深刻化するし、医師も直接では有りませんが、他家で私に死の宣告を致しました由。之を耳にした母兄は私に知らすまいと努める苦しみ悩み不幸から不幸へと段々淵無き沼に引き入られる様で、途方に暮れて居りました頃『栄光』一五一号に脊髄カリエスのお蔭話を報告していられたH様の母様(私母の従妹)が正月二日見舞に来て下さいましてHさんのお蔭話を聞かして下さり、 「まあ一度やって見なさい、 きっと良くなります」と言われましたので、頼りにして居りました医師にも死の宣告をされましたので頼るべきものは神様だけだと思い、一生懸命に大光明如来様にお縋り致すべく決心し教会へお連絡を御願い致しました処が、思いもよらず翌日の正月の三日松の内多忙にも拘らず先生は気軽に来て下さいました。その時私は床中で食事致して居りましたが欲しいと思わず、 ようよう五ツ口程食した程の食欲状態でした。 先生も私の衰弱には驚いて居られる様子でしたが「神様に一生懸命お縋りすれば救って下さいます」等々確信あるお話をして下さいましたが、返事も蚊がなく程の返事しか出来ませんので先生も聞取るのに苦労の様に見受けられました。第一回目の御浄霊を戴きまして五分程経過した頃全身が温くなって来ました。又汗がにじんで来ました。すると鼻汁、咳痰の続出、ちり紙では問に合わず、古布を肢の上に一杯広げそれにうけましたが、私も驚く程多量で出る度毎に頭は軽くなり、肩も軽くなり、これは救って戴けるかも知れんと心楽しくなりました。気がついて見ますと先生は御浄霊をして下さって居りました。

如何でしょう、声も出はじめ寝るのがいやになり、床上げ致しました。翌日より食欲すぐれ、三度の食事も待ち切れなくなりました。それからは他の人々は寒い寒いと言って居りましたが、私は寒いと思いました日がなく、一週間目より市内にある支部にバスにゆられ乍ら参詣させて戴きました。何とも有りません処か、益々以って身体は調子が良く明主様に感謝御礼の一念でした。賄も出来る様になり半月位より畠に行く様になりました。この私の姿を見て村の人々は唯々驚き、「恰も芝居、夢を見て居る様だ」と共々に喜んで下さる人、然し又、「前に打ったマイシンが効いたのだ、今に見ろ」とか、「あんなに動いては駄目になる。絶対に安静にしなくては」等々露骨に言う人々私の話で一杯でした由、然し私一家の者も嬉しく激励致し乍ら浄霊を続行しました。其月二四日A支部にて教修入信の光栄に浴しました。

島根県 F・K

昔より命あっての物種と申しますが、全く私こそ幾つあっても足りない尊い命をお恵み頂きました幸福者で御座います。お蔭様で今日此頃は可愛いい孫達から「オバーチャン、オバーチャン」とまといつかれ乍ら楽しく暮して居ります。

ああ、思い出してもゾッとする医者の死の宣告より蘇らせて頂きました御報告を拙い筆をもちましてつづらせて頂きます。

常日頃腰痛を覚え、少し無理が過ぎると腰を伸ばせないことも御座いましたが鍼灸などで一時しのいで居りました。

二五年秋頃より相当量の下物があり、塊りも出来て居りましたが烈しい痛みもないので、案外で過して居り、年を取ってもかえって身体が若返ったのか、又月経がありはじめたと思って二、三カ月過すうち停止し二六年四月下旬より急に下腹部がこわばり、腰部も痛く「それほどに難儀なのは子宮が悪いに違いないから是非共医者に診断して貰いなさい。私の家のすぐ近くのおばさんは丁度お母さんの様な症状で医者の診断により手おくれと言われ、とうとうこの間死んでしまったからお母様も兎に角一日も早く診て貰いなさい」と、里帰りした娘にすすめられ、四月二三日選挙の日、息子の自転車に乗せて貰い投票をすませ、午後病院へ行きましたら、私には「子宮には一寸した腫物が出来ているがたいしたことはない。それに他の病が手伝っている」と言われましたが、息子や家族の者には秘かに、「子宮癌で最早手遅れで手術しても駄目だし、このまま放って置いても半年はもたない」と死の宣告を下して居られました。御本人は知らぬが仏で、全く安心した気持で家に帰りましたら自転車の振動が烈しかったのか、下腹部へ激痛起り苦しみました。次第に下剤や浣腸せねば便が出難くなり、ついに肛門が開いてしまって、浣腸しても薬剤がそのまま出てしまい、下剤も、効かなくなりました。食欲もなくなり、親戚のものも心配して「どこそこの祈祷師はよくあてるから見てもらえ」「どこでおがんで貰ったら一ぺんで治った」などいろいろ心配してくれるものもございます。その絶体絶命的状態の時、近所のIさんとおっしゃるメシヤ教の信者さんがお見えになり「おばさん信仰のお力でおかげをさずけることが出来るようになったが、おかじしてあげようかね」と御親切に言われ、こちらも苦しい時の神頼みという気持で「よい信仰をしていなさるなら、おかげを受けさせて下さい」と、初めて御浄霊をお受けしました。手を一尺も二尺も体より離してじっと翳しているだけなのに、二日三日続けて貰う中、唯なんとなく気持がよい様に思いましたので、是非共T町の先生に御依頼したく、お願い申しましたら、御多忙中にかかわらず、二二日お出向き下さり、御浄霊をお受けしましたら、まあ、なんと今の今迄、一〇分と待てない位のお小用が近かったものが、只の一度の御浄霊で二時間以上も間があり、 腎臓部をしっかり御浄霊して頂きましたら、大変楽になり、翌朝十四、五日も出なかった宿便も排泄され、お小用をした前後のさす様な激痛もずっと軽くなり、医者より「精がつかないと弱ってしまうから喰べなさい、喰べなさい」といくら言われてもどうしても喰べられなかったのも一ぺんに解消して大変美味しく喰べられるようになりました。

三度目にS先生に来て頂きました折には体の様子もすっかり快くなり、お帰りの時は門の外まで出てお見送りした位で御座います。六月八日までに八回お出で下され、その度毎にあまりにも見違える程良くなって参りますので先生も大変お喜びになり、私を家庭内で御浄霊して頂く為息子が御守りをお受けする筈でございましたが、八日にはIさんの自転車に乗せて貰い、中教会本部迄御礼参りさせて頂き私が御守りを頂くまでに快癒してまいりました。当日は会長先生にも御浄霊いただき、参拝の皆さんにもこんなにもおかげを頂きましたということをお話し致し帰宅しましてからも順調で御座いました。

その後一、二カ月間は黄白色のドロドロした悪臭物が時たま下りることも御座いましたが、ひどい出血はなく、三ヵ月目には近くの町まで車を引いて野菜売りに出かけましたら、私の事を「もう駄目だろう、助からない」と噂していた人達は、皆ビックリしてどうして治ったかと口々に尋ねられました。嫁いだ娘が私の診断をして頂いた病院に行きましたら、医者から「近頃お母さんはどうですか」と尋ねられたので「ハアおかげさまで大へん元気で働いて居ります」と申しましたら、しばらく手を休めて「ヘー」と眼をパチクリ、開いた口が塞がらないようであった由で御座います。ほんとうにお蔭さまで患らう以前にもまして健康で、家族の者もその快癒に眼を瞠り感謝致して居ります。

明主様の御慈悲の程厚く御礼申し上げます。

(栄光百六十九号 昭和二十七年八月十三日)