赤痢流行に就て

新聞紙の報ずる処によれば、今年の赤痢は空前の数字に上るであろうとの警告を当局は与えている。何しろ昭和廿三年約一万五千、翌廿四年は三万、翌々廿五年は五万、昨年は十万というやうに、一年に恰度倍位宛殖えてゆくので、当局の推定によるも、今年は廿万を越すであろうとの事であるから、恐れるのも無理はない。それが為予防法に就ても、あれやこれやと色々心配してをり、最近は非常に効果ある特効薬が出来たなどとの報告も新聞に出ているが、之などは吾々からみれば眉唾物である。其他日常生活に就ても、ヤレ食事の前に手を洗え、生物は食うな、外食はするな、下痢をしたら早速医師に診て貰えなどと、何やかや面倒な注意を与えているが、之等消極的方法より外に考えようがないとしたら、現在の医学は如何に此病気に対する有力な対策がないかという事を物語っている。

以上の如き医学の貧困な実状では、今後の流行の波を押切る事は到底出来まいから、茲に私は神示の医学によって、根本原因を教えようと思うのである。然し信者以外は仲々信じられないであろうが、之が真理であってみれば、信ずる信じないは別としてかくのである。此間も簡単に云った通り、此病気は体的にいえば、頭脳に溜った毒血の排除作用であって、其原因といえば現代人は矢鱈に薬を入れるから薬毒は体内に充満し、之が血液を濁している。所謂濁血多有者が殆んどである。そこへもっていって、現代人は非常に頭を使うから、其部に濁血は集溜する。即ち神経を使う処ほど濁血が集るのは、人体の原則であるからである。何よりも後頭部と延髄部に触れてみれば直ぐ分る。即ち其部には必ず固結があり微熱もあって、それのない人は殆んどない位である。処がそこへ浄化作用が起り、発熱によって急激に溶け始め、下降して一旦腹部に滞溜するや、間もなく下痢便となって排泄される。之が赤痢であるから、実に結構な排毒作用であって、自然の健康法である。其証拠には予後は頭痛、頭重、朦朧感等の持病のある人は、必ず軽くなって頭脳も明晰となるのである。処が之を知らない医学は、下痢を悪く解釈し停めようとするので、一時は固まって元通りになるから、之で治ったように思うが、実は残された濁血は固結するか、又は他の病源となるので、何れは再発か他の悪性病気は免れないのである。

右は体的面であるが、次に霊的面をかいてみるが、之も私は以前から説いている如く霊界に於ては夜の世界から、昼の世界に転換するにつれて段々明るくなり、火素も増えるから、浄化は益々旺盛となる。其表われが今年の如く今迄にない赤痢流行となったのであって、まだまだ斯んな生易しい事では済まされないから、覚悟しなくてはならない。

之に就ては結核も同様であって、近来の如く浄化停止に効果著しい新薬が続出するとしたら、成程一時は固まるので患者は小康を得死亡率も減るが、其後に到って必ず猛烈な浄化発生し、悪性結核氾濫時代となり、短期間に死亡する者数知れずという事になるから、赤痢其他の伝染病と相俟って、空前の恐怖時代が出現するのは間違いないので、私は今筆に口に警告を与えているが、実は此予言が的中しないよう望んで止まないが、それは先づ不可能であろうから、其時になって、今更のように目が覚めて、救いを求めにきても手遅れであろう。従って命の惜しい人は一日も早く本教へ入信し、如何なる恐怖時代が来るとも、ビクともしない信念と体質とを作りおくべきで、それより外に方法はないのである。此事は寧ろ原子爆弾処ではない。原爆の恐怖は戦争当事者のみであるが、之は人類全般に渉っての浄化作用である以上、一人も漏れる事は出来ないからである。キリストの曰った“世の終り”とは此事でなくて何であろう。

(栄光百六十二号 昭和二十七年六月二十五日)