結核半減記念祝いに就て

先日、日本に於ける結核死亡率が半減したというので記念祝いをしたが、之を吾々からみると余りに軽率処か、馬鹿々々しいとさえ思われるのである。というのは、成程死亡率は半減したが、患者の数は少しも減らないのみか、依然として増加の傾向にあるので、此点深く考えてみるべきである。成程患者の数が減ったなら、それこそどんな御祝いしても、吾々も喜んで賛成したいが、死亡者だけの減少では、到底楽観は出来難いのである。之も医学は根本が分っていないから仕方がないが、実は喜ぶ処か悲観した方がいい位である。それを今詳しく解説するが、之が分ったなら冷汗三斗の人が随分あるであろう。

いつもいう通り、近来ストマイ、パス等次々新薬が出るが、之等の薬効は毒物による浄化作用停止の力を強めたまでで、一時的に病気症状が減るから利くと思うだけで、実は小康を得るにすぎないのである。従って単に死ぬのが延びただけで、勿論長くは続かないから安心は出来ないので、之が死亡率は減っても患者の数は減らない根本原因である。では今迄通りにしていれば、今後どうなるかというと、無論時の経つに従い再び浄化が起り始め、患者の数も増すので、再び薬を用いるが、今度は以前程に効かないから、毒を一層強めた薬が出来る事になるのは勿論で、恰度麻薬中毒患者と同様である。そうしている中に愈々効かなくなり、遂には全然効果がなくなると共に、今迄の強い薬毒の浄化も加わって、悪性結核激発となり、急死する者数知れずという事になろうから、今よりも幾層倍の結核患者が出来るであろう。以上のような訳で其時になったなら、今度の記念祝典を憶い出して身が縮むであろう。私は此様な悲観的な事は言いたくはないが、そうなるのは今から判っている以上、警告せざるを得ないのである。茲で重ねて言うが、今日の如き死亡率半減期間は一時的であるから、来年、再来年というように、再び頭をもち上げ始めるのは勿論であるから、当局も一般人も大いに周章て出し、結局今日の新薬が恐怖時代を作った事になるのである。としたら其迷盲たるや言うべき言葉はないのである。而も文化の発達した米国の医学者達迄が、依然として其迷盲に目覚めない今日、茲に神様は大慈大悲の大御心によって、私をして世界に知らしめんと為し給うのである。

茲で今一つ重要な事がある。右の如く新薬の効果によって、直に死なない半病人が増えるから、毀れ物扱いをされなければならないような消極的健康人が氾濫し、元気よく長時間働く事も出来ず、軽作業がやっと位の人間が夥しい数に上るであろう。としたら国家全体から見ても由々しき大問題である。

そこへゆくと本教浄霊は、保有しているだけの毒素を溶かして排泄させるのであるから、真の健康者となるから、之程素晴しい福音はないであろう。従って当局も医家も之を知ったなら、私情や私利を度外し、一日も早く吾々の仕事に参加すべきで、之こそ最も賢明であり、医学者否文化人としての真のあり方であろう。何れはそうせざるを得ない事になるのは明かであるから、好むと好まざるとに拘わらず、断然百八十度の転換を勧めて止まないのである。

(栄光百六十一号 昭和二十七年六月十八日)