浄化の言葉

本教は病気の事を浄化というが、之程いい言葉はあるまいと思う。それも嘘ではなく本当でもあるからである。第一此言葉から受ける感じは、頗る気持がいいが、之に反し病とか病気とかいう言葉位気持の悪いものはあるまい。併しよく考えてみると、此言葉も満更間違ってはいないと思う。というのは病は結構なものである事を知らないから、余計な心配する。つまり気を病むものだからであろう。

夫に就てよく信者同志の話合ってるのを聴くと、『お蔭でやっと浄化が起りました』とか『浄化の御蔭で近頃は、大分身体の工合がよくなりました』とか『浄化は有難いものですね』なども、実に快い言葉である。

今一つは病院という名称である。之も私は非常に悪いと思うが、実際からいえば、此名前も満更間違ってはいないと思う。何故なれば治らないで病み続ける処であるからであろう。若し吾々の方でそういうものを造って名を付ければ、浄院というのが合っていよう。併し人間が薬を用いなくなると、自宅で簡単に治る軽い病気ばかりになるから、そんなものを造る必要もなくなる訳である。

(栄光百五十七号 昭和二十七年五月二十一日)