幸福を生む文化

いつもいう通り、人間の欲望を一口に言えば、幸福であるのは分り切った話である。其目的に向って何千年も前から、人類は営々努力しつつ、遂に現在の如き絢爛たる物質文化が造られたのであるから、慥かに唯物的には予定通りに成功したのである。処が今日の人間が、俺こそ真の幸福者であると思っている人は、果して幾人あるであろうか、恐らく百人に一人も難しいであろう。見よいつになっても戦争の恐怖、病気の恐怖、貧乏の恐怖の此三大苦難が附纒っていて離れないのが人間の常態ではないか、としたら現在は幸福処ではない。せめて今少し安心して暮せる世の中になって欲しいと思うのが、誰もが抱く精一杯の欲望であろう。

此様な世の中を切替えて、本当に幸福な世界にするのが本教の目的で、而も立派に実現の可能性があるのだから空前の救いであろう。それには先づ何といっても今迄の文化の誤りを指摘し、本当の行り方を教える事である。今迄のような上面ばかりを好く見せかけ、形のみの文化では駄目で、どうしても内容も共に良くならなければならない。つまり偽りのない社会、今のように誤魔化し本位で、善人らしく見せてる悪人の多い社会では、幸福などありよう訳がない。もっと分り易くいえば今の世の中は悪七、善三というのがありの儘の姿であろう。三とは勿論正善愛であるが、七対三ではどうしても善が負けるのは当然である。事実悪がノサ張りすぎて、善が下積にされているのが現在であるから、不幸災厄は次から次へと作られてゆき、全く苦の娑婆である。処が茲で考えてみなくてはならない事は、単に悪といっても容易に判断がつき兼ねる悪が随分ある。というのは現代の悪は智能的になっている為、巧妙に善の仮面を被り、悪を逞しくする人間も少くないが、一層始末の悪いのは、悪と善と誤り信じて、一生懸命になっている人達である。

先づ第一は人間の最大悩みである病気を解決すべく、生命を賭(ト)して迄研究をしている学者は固より、世界中の医学に携る人々もそうで、真剣に人を助けるべく善と信じて実は悪を行っているそこに誰も気が付かない。之は常に私が警告している処である。又作物に人為肥料を施すのを善と信じて、実は不作となる事に気が付かない、大多数の農業関係の人達である。又共産主義を以て最大多数の下層階級に、最大幸福を与えると思って一切を犠牲にしてまで闘っている多数の人達もある。

以上の如き人々こそ、結果から言えば無智で、悪を善と信じて行っているのであるから、其熱意の強い事も別で、頗る効果的である。之等数々の原因を検討してみる時、真相を見通し正邪善悪を判別する処の叡智こそ必要である。というのは間違っている事でも、長い歳月の為、医学の理論が固定化し、伝統的となり迷信化して了ったものである。では何故真実が発見されなかったかというと、全く時が来なかったからで、時こそ絶対の支配者である。そこで神は私という者を選んで、一切の誤謬を啓示され、而も叡智否神智をも与えられたのであるから、叡智でも分らない事が私には分るのである。

茲で今一つの事を言わねばならないが、右の如き時というのは、今迄の如き悪の七の力は漸次薄れて、三であった善の力が四となり、五となり、七となるのである。いつも私が唱える夜は終って昼となりつつあるという意味で、之が分ったなら其人は真の幸福を掴んだのである。

(栄光百四十九号 昭和二十七年三月二十六日)