大宅壮一という人

此人は不思議な頭脳の持主である。今度も東京日日の「蛙のこえ」で、三回に亘って例の通り巧妙に私の悪口を書いたが、此人は廿年も前から、親の仇のように私を狙っていて、根気よく時々私の悪口を新聞に出している。処が今度の記事は、今迄にない御念の入ったものであるので、よく考えてみると此間の彼の悪口に対し、教団の方で名誉毀損の訴えを起した為、口惜し紛れにかいたものであろう。といって又訴えられるのは怖いとみえて、極力独断を避け、根拠らしいものを集めて、材料にしている点がよく分るのである。

処で、其材料なるものは、昔の私の知人であった頭の少し変な人が、私を恨んで語ったらしい嘘の記事が、昨年某三流新聞に出ていたのをネタに使ったり、まだ白黒も判らぬ昨年の事件を黒と決めて了って、悪口の材料にしたりしてデッチ上げたもので、何も彼も一方的に取上げて私の名誉を傷つけようとするのだから、斯んな不徳義な行為をして何の利益があるのか、確かに普通の頭脳ではない事が分る。だから斯ういう精神変質者を相手にするのは大人気ないが、広い世間には立派なジャーナリストと思っている人もあるだろうから、それに瞞されないようにと筆を汚した次第である。

只右のネタの内、信者の中で霊写真に就て真相を知りたい人もあるだろうから、此一つだけかくが、最初右の変な人が写真を撮った処、其翌日驚いて飛んで来た。それは不思議なものが映ったといって、乾板のまま見せに来たので、それがアノ千手観音様が写った写真なのである。又煙りのようなのは鏡に反射した為というが、其部屋には手鏡一つさえなかったのである。又龍神は誰が見てもハッキリしており、御本人も之は正に龍神であるといって、不思議を繰返えし得々としていた位である。

では何故此様な嘘ッ八を新聞へ出したかというと、昨年私の著書の奇蹟物語へ霊写真を出したので、其謝礼が欲しかったらしく、十六年振りで訪ねて来たが、気まりが悪いと見えて、明ら様に口へ出さないのと、私は其人を以前立派な人と思っていたので、そういう事をいうと侮辱になると思い、反って触れないようにした処、彼は私を、没分暁漢(ワカラズヤ)だと思って憤慨し、返報返えしの意味であったに違いないと想像されるのである。

(栄光百二十九号 昭和二十六年十一月七日)