共産主義者は、最も信仰と反対の立場にあるのは、衆知の通りである。処が左記の報告は、見事に転向した例であるから、本教が如何に偉大なる力を有しているかの證拠であろう。
共産主義から転じて信仰へ
北海道 T.S
嬉しきは地獄にも似し我過去 いつしか忘らひ天国のさま
明主様有難う御座居ます。唯嬉しさにありのままを書きまして御礼申し上げます。
私は昭和一七年一二月召集され、軍隊生活満二年九ヶ月、終戦と同時にソ連の抑留者となり、満三年一一ヵ月を経て来た者で御座居ます。
在ソ間、民主化運動に専心し、将校打倒の闘争、警察憲兵打倒組織—収容所内組織の拡大強化に勉め、在ソ中は特別な教育を受けて共産主義的思想革命を毎日の生活におり入れ、此中から得た信念として共産制度の社会こそ、吾々人類の理想的な楽園であり、弁証法的唯物論は最大の宝であると思って居りました。
唯心論、又は宗教等は特権階級者が一般人民を戦争にかりたてるべく道具として、使用して居た物と思い、宗教に対して限りなき憎しみを持って居たのです。勿論宗教では世を幸福にする事は出来ない、人類の最大の幸福は物が充足し、其物質の反映によって幸福は得られるものと思い、此制度を日本にも建設しようと思って、昭和二四年八月私は帰還して参りましたのです、現在の職場に於ても、ありとあらゆる場所に於ても、私は共産主義的宣伝をして居りました、処が同じ職場に現在のD先生が居られまして、休みの時間等を利用して『栄光』新聞を見せたり、色々と御話をして、手を振ればどんな病気でも治る、又田畑に金肥を施さなくても自然農法で二割も三割も、作物が増収する事が出来る御話をして居られました、私は此お話に対して「手を振っただけで病気が治ったり、作物が出来たりする位なら、医者も薬も肥料もいらない、そんな馬鹿馬鹿しい事があるものか迷信も休み休みに言え」と言った位でした。
処が二五年の二月に不注意から風邪を引き、悪寒がし、三八度近い高熱が出まして、風邪薬とノーシンを服用して高熱と悪寒を防ぎましたが、此度は頭が重く鼻の具合が悪くなり、二週間位になると鼻から黄色い膿の様な鼻汁が出て来ました、私は心配の余り診療所に行き、外科の医師に診察して戴きました処、蓄膿症の様だから市立病院の耳鼻科に行きなさいと言われ、其足で市立病院に行って診察して戴きましたが、同じ如く「蓄膿症だから毎日通院しなさい」と言われ、毎日病院に通って洗って頂きましたが少しも良くならずかえって頭痛は激しく、鼻は中から何かおし上げられる様に痛くなって来ました。此事を医師に話しますと、「貴方は悪性蓄膿症だから入院手術をしなければいけない」と言われたのです、入院すると言っても復員して間の無い私としては、入院費すらあろうはずが有りません、出来る事なら入院せずに治そうと思い、人様の良いと言う事は色々やって見ましたが良くなる処か益々悪化して、鼻先、前頭部や目のまわりまで痛くなり煙草を吸えば睡気がさし、本を読んでも五分と続ける事が出来ず、此苦しみは筆や言葉に表す事が出来ません、本当に希望を失って手術を唯一の望として、倒れるまで働いて入院費を作ろうと、痛いのをじっと堪えて毎日一生懸命働らくより外に、道は見出しえませんでした。
其当時、私の妻の母親が産後の無理から永年頭が痛み、悪くて悩んで居りました処、手を振って病気が治る事を教えられ、浄霊をして戴いたら良くなったから、蓄膿症ならきっと良くなると言われ、浄霊を奨められました、奨められても中々其気になれず、しかし何時まで疑っても、試して見なければ「百聞は一見に如かず」と言う如く、私もようやく試して見る気になり、D先生に「私の蓄膿症は治りますか」と尋ねた処「きっと良くなりますよ」と自信を持って言われたのです、私は医師でも手術をしなければ治らぬと言われて居るのに、余りにもはっきり「良くなる」と言われて腹立ちまぎれに「貴方は此教に入信してから何年になる」と尋ねましたら「三年になる」と答えられ「其間風邪薬はおろか、如何なる予防注射もして居りません」との事です、此医学万能の社会に於て、三年間も無医薬にて過す家庭は不思議でなりません、何か其根拠があるはずだと思い、其根拠を突止めてやろうと思って一度浄霊を受けて見たくなり…今にして思えば全く申し訳のない事で御座居ますが、最初はそんな考えからともかく御浄霊を受けたので御座居ます。
御浄霊を受けて見ました処、あれほど苦しかった頭や鼻が大分楽になった様な気持がしましたので、これも気のせいだろうと思いつつも、苦しさに負けて毎日の御浄霊を受けました、其度毎に頭が楽になって行き一週間目には鼻から膿が大量に出て、一日一合も出る様になり、心配の余りお尋ねしますと「これが浄化作用と言うものですから何も心配する事は無い、出るだけ出した方が良くなります」と言われ、其れ迄に浄化作用のお話を聞いて居りましたが、身を以って体験さして戴いたのは初めてで、余りの意外さに驚く外は有りませんでした。
毎日御浄化を戴く度に苦しかった痛みは次第に良くなり、あれ程疑って居りました私も、日前の奇蹟に、神様の偉大な御守護に、只々驚きの目を見はって、今迄の御無礼を神様に何んとお詫び申し上げて良いやら眼頭にたまる涙をどうする事も出来ませんでした。
此偉大な御力にすがれば必ず治ると、自信の付いた私は嬉しさの余り、丁度内地より御指導にお見えになられましたS先生より、二六年三月一八日、A教会に於て教修を受け、入信させて戴きました
長き世を迷ひ迷ひて来つる吾 神の光に目覚めし嬉しさ
私の今の気持は明主様の御讃歌其ままの気持で御座居ます、入信して先ず妻よりと思い、毎日御浄霊させて戴く中に大変な御守護を戴き、四月には妻も入信させて頂きました。
其後光明如来様を御受けして、A教会N先生御足労のもとに御奉斎をさせて戴き、続いて地上天国の横書体も御掛させて戴きました、わずかの間に暗黒生活より一路光明の生活に変らせて戴いたので御座居ます。
此救世教の病、貧、争絶無のスローガンこそ、我等の長い間の待望で有り、此世最大最初の偉大なスローガンである事が確実に私は見出す事が出来ました、如何に共産主義制度が進歩し科学が如何に発達しようとて病争は絶対に絶無にする事は出来得ない、人間の幸福の最大の目的は健康で有る事等、次第に明瞭に私の胸にはっきりと明示されました、私は此処に無信仰より信仰へと、一八〇度の転換を致しまして御神業に御用させて戴き、新しい希望と感激をしっかと胸に抱きしめつつ、御使命に進ませて頂いて居ります。
世の共産主義者よ、神は無しと思える人々よ、或いは病に苦しむ人々よ、救世教を疑うならば生証人は幾人でも居る、理屈を言わずに先ず身を以て体験し、一日も早く本教を理解して、病貧争に苦しむ人の救われん事を希望すると共に明主様の理想とされる輝かしい地上天国を造り上げる様努力致しましょう。
私も及ばず乍ら御神業の万分の一にも、謹しみて報い奉るべき覚悟で御座います、絶大なる御守護を戴きまして甦りました嬉しさをつたなき文を以ちまして厚く御礼申し上げます。
明主様、有難う御座いました。
(栄光百二十四号 昭和二十六年十月三日)