結核と馬車馬

結核に就ての最近の統計によれば、療養所の成績は、患者百人に対し、死亡三十一、再発二十八という事になっている。処が此病気の再発は、特に初発の時より悪性であるのはよく言われている処であるから、勿論死亡の方へ入れても間違いあるまい、とすれば百に対し五十九の死亡となる。然し残りの四十一はどうかというと、兎も角治ったとして退院するにはするが、実は本当に治ったのではなく、余り長くなる為、家庭の事情等で、退院の止むなきに至る者が殆んどである。従ってどうやら退院出来るだけの症状で、真の全快ではないから、先ず再発は免れまい、とすれば必ずと言いたい程悪化するに決っている。という訳で本当に全治退院し、普通の業務に就ても、其儘再発せずに済む者は、殆んどないといってもよかろう。之が偽わらざる真実の状態とすれば大いに考えなければならないのである。

右の如き現状は世間よく知っているから、今日の人間で一度結核の烙印を捺されたが最後、死刑の宣告を受けたようなもので、遅かれ早かれ、執行の日が来るのは、誰しも予想される訳で、此為の精神作用も拍車をかける事になり、益々悪化するのは当然である。処が政府も専門家も此現実を充分知り乍ら、どうする事も出来ず、相変らず来る年も来る年も、何等新しい対策も浮ばず、仕方がないので同一の方法を繰返しているに過ぎないのである。見よ、ヤレベットが足りない、レントゲンの機械を増やせ、ツベルクリン注射を励行せよ、BCGを打て、洩れなく早期診断をせよ、といって巨額の支出や、多くの労力を費しているのである。

従って前述の如き統計を見たら、政府も専門家も、首を傾げそうなものだが、そういう人もないらしい。処が吾々は結核の根本を知り、確実に治る方法も知って、現に素晴しい成果を挙げているのであるから、思い切って斯ういう事が言えるのである。だが此文を読んでも、恐らくはいつも通り雲煙過眼するに違いなかろう。こんな訳だから今後と雖も無益な金と労力を費い、多くの結核患者を治ると思ったり、思わせたりして、多くの犠牲者を出すのは言う迄もあるまい。とすれば其迷蒙さは、到底黙視出来ないのである。忌憚なく言えば、盲目者が邪道を本道と思い違い、馬車馬的に走っているようなもので、寒心に堪えないのである。それを吾々は一刻も早く知らせようとして苦心しているが、馬車馬が両眼塞がれているが如く、何等の反響もないのである。嗚呼二十世紀の今日、之程の悲哀は他にあるであろうか。

従而、此儘邪道を走り続けるとしたら、何れは鉄板の壁に突当るのは知れ切っている。其揚句粉微塵となったり、死んだり、怪我したりする者が、数知れず出来るであろう事も予想されるのである。

(栄光百二十四号 昭和二十六年十月三日)