今日迄、宗教と科学は全然反対の立場になってゐたが、之は間違ってゐた。近き将来に於て、宗教と科学は、結合一致すべき運命にあるのである。それは、科学の進歩は結局神の実在を認識する迄になるからである。
それに就て、最近に於ける、二つの顕著なる発見を見逃す事は出来ない。その一つは、物質原素の極まりなき究明であって、彼の陽電子一個を中心に、八個の陰電子が周囲を廻転し、一個の原素細胞を形成するといふ所迄の発見であったのが、最近に到っては尚も進んで、顕微鏡の発達は一億万分の三ミリ位迄の極微に達したのである。それは、電子よりも極微なる、陰子の発見に迄及んだのであって陽子の発見も時日の問題と迄なって来たのである。
今一つは、トーキーの進歩である。それは音の原子が、種々(シュジュ)の形と色をなして躍動するのが、無数に画面に映るのである。お玉杓子の如きあり。棒状があり、円形、輪形等いろいろの形があるのみならず、夫等に各々黄、紫、赤、青等の色と、それぞれの光りを有してゐるといふ事である。それが楽(ガク)のリズムの変化によって、種々(シュジュ)の躍動をするといふのである。寔に驚くべき事である。
神霊は光りと熱である。故に、その神の光りを科学によって證明さるるのは、今一歩といふ所迄来てゐる、人の精霊や、病原としての曇り、それが治癒されてゆく神の光りの活動が科学によって證明されたなら、茲に初めて宗教も科学も合一して完全なる学問が生れるであろう、そうして其真使命は、人類に対し、新しい光明を与へる事になるであらう。
(観音運動 昭和十年九月十五日)