社会悪や不幸は、凡て結果であるといふ事は、膏薬張の救ひで述べた通りである。恰度、河川の濁るのは、上流の源が濁るからであるのと同一の理である、故に社会の溷濁(コンダク)は、社会全般の指導者たるべき上層階級が浄まらなくては、百年河清を待つとても、駄目である。
大臣級が、市ケ谷へ収容されたり、市会や府会の絶えざる疑獄、教育者の涜職、宗教家の堕落等々、数え上げたら、限りがない、之では、いくら教化団体が骨を折っても、既成宗教が活動しよふと、効果の挙がらないのは当然である。
社会悪の発生する原因を、自分達が造ってをいて、その社会悪の根絶に腐心するといふのは、丁度親爺が、妾や女狂ひをし乍ら、伜に、倫理道徳を説くやうなものである。
もっと真剣で、真面目でなくては駄目だ。政府が、非常時財政を救はふと思ふなら、先づ第一番に、御自分達の俸給、何割かを割いて、国家に献上して、模範を示すべきだ。又富豪は利益を公開して、其半分位は、国防資金として出してもいい、各会社は、五朱以上利益配当があったら、その幾分かを、赤字補填として、国家に差出したらどうだ。
又選挙粛正も結構だが、今更慌てて、神官に頼んだりして、その運動を援助させやうなどとは余りに泥繩式である。
それには先づ、常から内閣には、天照皇大御神の御神霊を奉斎し、閣議の前後に礼拝し謹んで祝詞を奏上すべきだ。猶進んで各官庁、学校、会社、工場に到る迄、同じく天祖の御神霊を祭って、仕事の前後に祝詞を奏上させるのだ、そうしたら社会は如何に浄化さるるであらふ、特に、選挙粛正などをやらなくとも、選挙などは公正に行はれる事は、断じて疑いないのである。
故に社会から、不幸と罪悪を無くする根本的条件は、支配階級の改心である。改心を舎(オ)いて、他に方法はない事を、断言してをくのである。
(観音運動 昭和十年九月十五日)