此奇蹟

本教信者は、奇蹟がありすぎるので、馴れっこになって了って、大抵の奇蹟は感じないようになっているが、左記の奇蹟は理屈のつけようがあるまい。之を無神論者が見たら、何というであろうか、聞きたいものである。

神の御守護宏大無辺
牛車にて胸腹部を轢いた子供
三日目には素足にて遊び廻る

茨城県 T・M

私の父H(六八歳)は一〇年来の胃病にて悩み続けて居りましたが、昭和二五年暮より当地に世界救世教の教会を設置せられましたK先生の御浄霊を頂き、僅か五日間にて跡方もなく全快させて頂き光明如来様の御神話を拝聴して感謝感激の余り、私が先に続いて父と入信致し日々有難い御守護の中に明るい毎日を送らせて頂いて居りますが、今回神様の絶大なる御守護を賜りましたので茲に謹んで御報告申上げます。

昭和二六年四月二二日午後一時過頃私は牛車に堆肥を満載し、其上に次男W(五歳)を乗せて牛に挽せて運搬中自宅を離るる約二町程の田圃に差掛りますと他家の荷車が道の傍に置いてありましたので、避けて通り過ぎた瞬間「ガタン」と車輪の音に牛の手綱を取っていた私は後を振り向き見れば、牛車の堆肥上より路上に仰向に顛落して居り牛車の右側車輪が子供の胸部か腹部(驚いてはっきり解りませんでした)の上に乗って居るではありませんか、私はハッとして仕舞った大変な事をしてしまったと驚きと狼狽とのうちに直に牛車を後退させんとするも今避けて通った荷車が邪魔して退れず、前に出せば子供の体を轢いて仕舞います、然し愚図愚図しては居られません、止むなく突嗟に意を決し、牛を引いて車を前進させましたから、完全に轢いてしまったのです。皆様其時の状況を御想像下さい、眼前で子供を轢かねばならぬ、親の気持を多くは書かなくともお解りになって頂けましょう。

牛車を駐めるや無我夢中にて駈け寄り、ぐったりとなって路上に横たわる子供を抱き上げて見れば、轢断即死せるものと思いきや、不思議にも顔色蒼白乍ら、鼓動激しく呼吸して居りますので「W」「W」と連呼しますと、かすかな声で茲が痛いと胸の辺りに手をやりますので、まだ命はある、これも一重に神様の御蔭と、只一心に光明如来様を御念じつつ、片手に抱き片手にて御浄霊を致し乍ら大急ぎにて、一旦自宅に帰り家人に事故の旨を伝え其儘教会に参りますと、幸いK先生在宅で先生は直ぐに子供を御神前に横臥せしめて、大光明如来様明主様御写真に御守護を御願の後、奥様共に祝詞善言讃詞を唱いつつ一時間余に亘る御浄霊を頂きますと、蒼白の顔色鼓動激しき呼吸も平静状態に復し、意識も明瞭となり言語もはっきり言う様になりましたので、只々大光明如来様明主様に御守護を御願いしつつ、如何になるかと固唾を呑み居りました、私及び急を聞いて駈け付け、子供の枕元におりました家族も、漸く愁眉を開き、安堵の胸を撫で下すと共に、御神力の偉大さ明主様の御霊徳の有難さを犇々と解らせて頂き、一同感泣すると共に、御神体に明主様お在す熱海の方角に向い、深く深く御礼申上げた次第であります。

尚先生は体を調べて見ましょうとのことに、着物を開いて体を調べて見ましたが、反対側の車輪に触れた右足の踵の皮がホンの少し剥れて、血が滲んだ丈で、轢いた胸部腹部等にはかすり傷一つ、車輪の痕跡すらなく、勿論肋骨内臓にも何等の異状を認めません。

斯くの如き事実あり得べきことでしょうか、然し事実は厳然として事実です。

御神力の御加護なくば、哀れ無残な骸と化し居ることを想起し、先生夫妻始め家族一同前にも倍して、感激で胸一杯歓喜の涙滂沱と頬を流れるのをどうすることも出来ませんでした、そうするうちに子供は眠いと申しますので、自宅に連れ帰ることを先生にお伺いしました処、大丈夫ですから連れ帰り、静かに寝せて下さいとのことに、自宅に抱いて帰り寝床に寝かせましたが、静かな寝息を立て乍ら、気持よく寝入ってしまいました、其日自宅にて二回の御浄霊を頂き、更に元気回復し、其夜饅頭二個と御飯を茶椀半分位を食し、何等の苦痛なくぐっすりと一晩中休ませて頂きました。翌二三日は更に元気になり、子供を連れて教会に行き、御神体にお詣り後御浄霊を頂きましたが、あとは私が二、三回御浄霊致したのみにて、事故当日より三日目の二四日には従前通り素足で駈け廻りて遊んで居ります。

其後五月一日には屏風観音様を御祭させて戴き、家中は一層明るい楽しい毎日にて夜のひと時にはおかげ話お道について、話が出ぬことはありません。

明主様、誠に有難う御座いました、御加護の万分の一でも、御恩報じしたく前記御守護の一件を、世間の皆様にお話しつつ御道のため微力を尽くさせて頂き居ります。

(栄光百十六号 昭和二十六年八月八日)