此題を見た人は、信者ならイザ知らず、第三者としたら吃驚仰天、私の頭脳を疑いたくなるであろう。然し之は真理である最高の霊科学である以上、よく読んで深く考えてみれば、成程と思わざるを得ないであろう。単に黴菌と言っても、茲では病気に関したものを言うのであるが、此黴菌なるものは何が為に存在し人間に害を与えているかという事で、之を徹底的に検討する事こそ現在文化に対しての、最重要問題であろう。
尤も此事は専門家諸君に於ても常に研究努力しているには違いないが、今日迄の科学の程度では黴菌の本体等到底把握出来る迄に到っていないのである。それ処ではない、現に目の前に蔽い被っている結核や伝染病等の問題にしろ当事者は全身全霊を打ち込んでいるに拘わらず、何等見るべきものはない現状である。というのは全く其観点が根本的に誤っているからで、医学に於ては只殺菌等によって、伝染を防ぎさえすれば可いとのみ思っている丈で、謂わばいつも私がいう結果論的観方で、外殻だけを対象としているに過ぎないのである。処が原因は中心の奥深い処にあるのだから、其点に気が付かない限り、何程多額の費用を使い、如何程努力したとて、徒労以外の何物でもないのである。遠慮なくいえば、現在の黴菌医学はまだホンの揺籃時代といってもいい位のもので、実際に役立つのは何時の日か見当もつかないのである。
偖て之から私の言わんとする処をかいてみるが、抑々此地球は人間の世界であって、人間が主人公であるから、万有一切は人間に必要なもののみで、不必要なものは一つもないのである。従而、病気なるものも其病原である処の黴菌と雖も、悉く大いに必要の存在であるに拘わらず、それを無用有害物として忌避し、絶滅させる事のみに専心しているが、之こそ全く根本が判らないからである。故に黴菌其物の本体さえ分ったなら、之程人間の健康に有用なものはないのである。とはいうものの此事の説明に当って困る事は、今迄の学理と比較して、余りに驚異的であるから、此理を納得するには、余程心を虚心坦懐白紙になって、精読されなければならないのである。
そうして私の唱える病原とは、いつも言う通り人間には絶えず毒素即ち濁血が溜るので、それを排除して了わなければ、活動に不便を及ぼすから、濁血を排除し浄血者にすべく自然浄化作用というものが発生する。其際の苦痛が病気であるから、言わば病気とは体内の清潔作用なのである。例えば人間は誰しも外表である皮膚に垢が溜ると、入浴という清潔法があるが、中身である五臓六腑にも同様垢が溜るので、其清潔作用が病気というものである。としたら神様は実に巧く作られたものである。之は嘘でも何でもない。病気になるや痰や洟(ハナ)、目脂、涎、盗汗、下痢、腫物、湿疹等の汚物排除作用が起るではないか、だから出るだけ出て了えば後はサッパリとなって、健康は増すのである。
処が不思議も不思議、斯んな入浴などと違って、一文の金も要らずに済む結構な掃除を、一生懸命止めて出さないようにする。それが医学であるとしたら、何と馬鹿々々しい間違いではあるまいか、何が間違ってるといって、之程の間違いは恐らく外にあるまい。従って此間違いの為に健康な肉体を弱くされ、長生きの出来る体を早死するようにされて、平気処か有難がっているのだから、今日の文化人なる者は全く「哀れなる者よ汝の名は文化人なり」である。処がもっと厄介な事がある。それは汚物を出さないようにする其手段に汚物を用いるのであるから、反って汚物を増す結果になるという誤り方である。従って此道理さえ判ったなら、病気程結構なものはない事を知るであろう。
そこで、愈々黴菌論であるが、人体の汚物とは勿論血液の濁りであって、此濁りを無くして了うには、どうすればいいかというと、神様は洵に面白い方法を作られた。それは黴菌という目にも見えない細かい虫によって掃除をさせるので、そこで神様は此虫を湧くようにした。即ち黴菌発生の根源を作られたのである。此事に就ては拙著文明の創造中の科学篇中に詳しく出ているから茲では略すが、兎に角黴菌という微生物は、最初濁血所有者の血液中に入り込み、濁血を浄血にする役目をするのである。それはどういう訳かというと、濁血というのは血液中に有ってはならない、言わば不純物が存在しているのである。面白い事には不純物という微粒子は、実は黴菌の食物になるのであるから、黴菌はそれを食いつつ、非常な勢を以て繁殖し、食うだけ食った奴から、排泄物に混って体外へ出て了うから、順次濁りは減り、遂に浄血者となるのである。其際の発熱は黴菌が濃度の濁血では食い難いから、液体に溶解して食い易くする為である。だから此理が判ったなら、黴菌というものは、全く人間体内を清浄にする掃除夫なのであるから、大いに歓迎すべきものなのである。
処で問題なのは、一体濁血というものは、どうして出来るかという事で、之こそ万有相応の理によって、実に合理的に造られるのである。というのは人間は神様の定められた役目を自覚し、それを正しく行えばよいが、多くの人間はつい不正や過ちを冒し易いので、その結果霊が曇り、霊が曇ると血が濁るので、それが病の元となり、苦しみとなるのだから、つまり過ちに対する刑罰という訳で、斯うしないと人間は正当に役目を果さないのみか、世の中へ害を与えるから、止むを得ず神様はそういうように造られたのである。従って人間が正しい行いさえすれば、濁血者とならないから黴菌は湧かず、病気は此世から無くなるのである。之が真理であってみれば、病菌というものは人間が作って、人間自身が苦しむのであるから、何と愚な話ではないかという其事を教える為に、此文をかいたのである。
(栄光百十五号 昭和二十六年八月一日)