光が見える話は、今迄にもチョイチョイ御蔭話中にも見るが左記の話は光、色、霊衣等色々の種類が見え、而も潜在意識などのない九歳の少年であるから、特に面白いと思うのである。此事は私のかいたものに悉く出ているから、信者は知っているであろうが、其中で言葉によって色が違うという事は面白いと思う。之は確かにある事で、よく言われる黄色い声とか、白々しい事をぬかすとか、そんな話を聞くと暗くなるとか、そんな言い草はまだ青いよ、などの言葉もあり、実に面白いものだと思う。
言霊から御光が出る
兵庫県 K・Y
去る五月二五日、従来私が布教させて頂いている兵庫県下淡路島D様方に於て、大光明如来御神体御奉斎を機会に、M先生を御迎えして昼夜二回に亘り講話会を開催さして頂いた折の事であります。
夕刻信者のNさんが、一子T(九歳)ちゃんを連れて参られ、M先生の御浄霊を依頼されました、以前から心臓が悪く、幾分霊的な点のある御子様であります、最近お光が肉眼を以て見えるという御話がチョイチョイありますが、この御子様もそれが見えるのであります、御浄霊される御手からばかりでなく、御神体からも金色の光が放射されていると申します、先生が、どの御文字から一番出ますかと聞かれますと、「明」という御文字と「来」という御文字が、一番お光が強いと申します。
軈て先生が天津祝詞を奏上されると、その口許を不思議相に眺めていたその子は、「おじさんの口からも金色の光が出る」と申すでは有りませんか、並いる一同唖然としていると先生が「では今度はどんな色ですか」と「馬鹿!阿呆!」と怒鳴られました、すると、「ああ、薄黒い色になって仕舞った」そして先生の話される言葉の内容、調子によって、絶えず言葉の色は或は黄や白や種々の色に変化して行くのだ相です。
私共は、常に言霊という事を伺って居ります、そして人の発する言霊の如何によっては、霊界や、いう人聞く人の魂を曇らせたり、浄めたりするのだから、須らく美しき言葉、人を賞め讃えたりすべきで、悪口雑言、愚痴、泣き言を慎むべきだとの御注意を頂いて居りましたが、今日前に此奇蹟を見せられて、今更に一同感じ入った事でした。
更に先生が、或はこの子供は霊衣が見えるかも知れぬといわれたので、その部屋の電灯を消し、次の部屋の光で照らされ乍ら、各人の姿の上に、何か見えないかと尋ねました、すると凝視していたその子は、各人の輪廓の上に厚いのは一尺近くから数寸、更に一寸位迄に白い色の影が見えると申します、勿論熱心な信者の方で、その熱心な信仰の度合に順じ、更に熱海参詣勤労奉仕した方から、順次中教会本部、教会への参詣の度数に応じて厚薄が歴然とあり、不熱心な方、更に未入者の方は、殆んどあるかなきかで、その判然さに一同感激また一入のものがありました、霊衣とは魂の光で、敬虔なる者、善を考え、善を為し、健康なる者程厚く、その反対の者程薄く、霊衣が厚ければこそ、種々の危難危急を免れる実例の御話等で、その夜の講話会は一入感銘深きものとなりました。
こうした光の色、光の波は、到底肉眼を以てしては見得べからざる超微粒子であって見えないのが普通であるべきです、然し何等かの神様の御必要で、或は我々の信仰を高め、神の実在を認識させんが為には、神様はこの無心な、邪気のない素直な幼児をして、この奇蹟を現わされたのでありましょう、見ゆるもよし、見えざるも可、要は私共の神様への信仰とその実在の認識が素直になり切れるか否かが、私達の救われるか否かでありましょう、この奇蹟は当日参会された数十人の入信、未入信の方々への神様の御啓示でありましたでしょうが、又信仰薄き布教者としての私への神様の御警告であり、御激励であったと私は信じ、謹み畏んで更なる精進を誓うものであります。
浄霊は何にでも効果がある
いつも言う通り、浄霊によって色々の事に御蔭を戴くが、左記のおかげ話は珍らしい事柄であるから、此文を添えたのである。之は身体の形が調うのだから、舞台人特に舞踊家などには持って来いであろう。又現代の女性は洋装が多いから非常にいいと思う。何しろ肉体の形がよくなるばかりでなく、血液が奇麗になるから、顔の色艶がよくなり、皮膚に光沢が出ると共に心も爽快となり、晴々しい目付きとなるから、人に親しまれ易く、魅力百パーセントとなるであろう。何と素晴しい美容法ではあるまいか。何よりも本教入信の女性は、例外なくそうなってゆくにみてもよく分るのである。
仮縫一寸待った
香川県 S・R
裁縫師、洋裁師、或は服飾研究家等のいずれにも該当しないこの私が、仕立物に関する事について、心臓強く一筆滑らそうと決心したのでありますが、そもそもその動機は、度々の御浄霊に際して、あまりにも暫々経験した二、三の事柄にあるのでして、これと同じ事を体験されたお方は、随分数多い事でしょうし、又地上天国が完成した暁にはさして必要でもない事ではありましょうが、さしあたって、現在のところ、特に洋装をなさる御婦人或は、スタイルのよい服装をお好みになる紳士方にとっては重要なことだと思いますので、一応皆様の御注意を喚起致したいと思うのであります。
先ず二、三の実例からとっかかることにしましょう。はじめには、私が入信してまだ二、三カ月にしかならぬ頃でしたが、急性の肝臓炎を起して、苦しまれていた十六、七歳の女学生が、三回程の御浄霊で病床を離れることが出来て、四回目には私の家まで歩いて来たのであります、その時に私は背中の方を御浄霊しながらあまりにも上体の姿勢がくずれているのに気がついたので「も少しまっすぐに座ってみて下さい」と、申しましたところが、彼女の返答は意外にも「私、これで最も姿勢よくしたつもりなんですけど……」と、こういう彼女の姿は、肝臓のある右側の肩がぐっとさがって、しかも首がそれにつられてかなり右にかたよって居るのです、私は何となく心のむくままに、右の肩と腋を一五分ばかり、御浄霊した後に、申しました。「さあ、もう一ぺん、まっすぐにしてごらんなさい」すると、どうでしょう、今度は左右のくるいなく、正しい姿勢をしているではありませんか、とてもうれしくなっちゃいました。
そんな事があってから後も、肩、頸、背筋、腰等のこった方々によって度々同じ様なことを経験して来ましたが、最近になって、その経験の決定版とでもいうべき現象にぶつかったのであります。
今年のはじめの頃でした。約半年ほど不明病気にさいなまれていた洋裁の先生を御浄霊によって、お救いさせていただいた時に、心に思うつぼがあって、右の数々の体験を聞かせておあげしたのですが、さすがに洋裁学校の院長さんだけあって、職業意識をするどくよみがえらせて「私、入信出来ましたら、早速、それを仮縫に利用致しましょう」と、目をかがやかせて遠くをみつめるのでした。「ところで、貴女の背中はどうです」口を開くと同時に彼女の服、背中を見て、私が今までの服が合わなくなったことを発見するのと、彼女が、背中の襟のつけねの所へ左手をあてながら、口を開くのが同時でした。「私、御蔭でとても姿勢がよくなって、職業がらドレスは全部縫いなおしが必要なんです」と、首をすくめて居ましたが、私はその時ふと「神霊療法による病気治しにしても、実を言えば、立派な生命の芸術である」という明主様の御言葉を思い出して、感激泣を催す程でした、こんなことがあるから、御浄霊をやめられないのです。
こういう風に、洋裁学院の院長さんも認めてくれる程、身体の形が変化するのですが、そればかりではなく、姿勢がよくなる、ということは身体の調和がとれたことで、これを、霊主体従の法則からすれば、霊そのものの調和がとれていることが前提条件なのです、従って心も魂も正常化しなければならぬのです、即ち事実、身体ばかりでなく顔の歪みはとれて、円満になり、美しさは倍加し、皮膚は光り輝くのです。
その院長さんの一の弟子の二〇歳になる若き助教さんは、師の治病経過を見ているうちに、他の女性達の非難をしりぞけて、進んで御浄霊をお受けになり、其後師の後を追って入信なさいましたが、此人が光り輝いて来ました、それにつれて段々他の人達も御浄霊を受けるに従って美しくなっていったのです、うれしいことです。
その洋裁学校の卒業生で二六歳になる未婚の女性は、近日洋服の仮縫をすることになっていたのだそうですが、御縁があって私はその事を知らずに、大変に曲った体を、意識しながら御浄霊していたのですが、四回程した時に、洋裁の先生から「あの方は、いつもとても仮縫がむずかしいのですがこの度はとてもうまく出来ました」という報告を聞いて、私は思いました、「此処迄行かなければいけない、要するに根本問題が大切なのだ」つまり、いくら仕立屋さんが骨折っても、それを着る人の身体がよくなければだめだという事です、我々の日常の服装は借物の嫁入衣裳ではないのです。
仕立屋さんにしてみればそれが良心的であればある程、仮縫はむずかしいものだそうです、その仮縫をたやすくする方法が創始されたのですから、およそ御浄霊を知った方であれば今後は、それがドレッシーな服装であればある程御浄霊の効果をうんと活用してもらわねばならないということになるのです。
明主様の言われる「生命の芸術」ということが、体的には、こういう処に認めることが出来るのです、勿論これは仮縫にかぎったことではないでしょう、お化粧だってそうです、日常の立振舞にも、発声、表情等あらゆる点に同じことが言えるはずです、つまりは、世界救世教の信徒たるものの日常の行動は、常に美的要素があふれ出て居なければ、ならないという事にもなるのです。
明主様は我々に、こういう歓喜を与えて下さったのです、お互に、それを無為にしない様心掛ようではありませんか。
(栄光百十二号 昭和二十六年七月十一日)