之が奇蹟でなくて何であろう

本教の奇蹟の多い事は、宗教史上空前である事は、信者は誰も知っているが、左記二例の奇蹟に至っては、どう考えても大奇蹟である。危険を免れた奇蹟の報告は、馴れっこになる程常に知らされているが、強いて疑えば、偶然という理屈をつけられない事もないが、此報告通りとすれば、どう考えても奇蹟というより外に、理屈はつけようがないのである。従って此様な厳然たる事実にみても、本教信者は何等心配なく、常に安心立命を得ている事は、一点の疑う余地はないのである。

十四米落下、奇蹟の生命拾い

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爆源地に見る無傷の救世教信徒

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(栄光百十一号 昭和二十六年七月四日)