阿呆文学(九) 只生きている

只生きているとは何とマァー、湯の中で屁を放(ヒ)ったような、寔に以て頼りない言葉では御座らぬか。空気を吸って飯を食い、糞を垂れて睡るという、只それだけを毎日日々、繰返して死んでゆく只それだけの人間共の如何に多い事よ。悪く言うんじゃないけれど、娑婆ッ塞げの飯泥棒、人造肥料の機械と、言っても腹も立てられまい。其通りなんで御座るから仕方ない。全く人間の形をした、虫ケラ同然、犬猫同然、フイゴの向う面、徳久利野郎、口だけ開いているばかり、ワンワン泣けば犬も同然、安本丹の抜け殻と、言うより外に言いようがないという訳さ。

斯んな虫ケラ人間を、神様とも曰わるる御方が何故造ったのかというじゃろうが、そんな事をぬかすと罰が当るよ。実は虫ケラ人間が、虫ケラ人間を、後から後から作るんだから堪らない。そこで阿呆は神様に、代ってすっかり底の底、裏の裏迄も教えてやろうから、耳糞ホジってよっく聞けと、之から誤多苦じゃない、アプレゲールの御説教、聞かしてやるから、有難いと思ったらタンマリ御賽銭を、献げて貰うと思うんじゃないから、安心して聞きなされ。

抑々安本丹発生の、其原因は言わずと知れた面の上にくっついている、丸い形の問題じゃ。では何故丸い中の働きが、悪い処か空ッポーの、ような人間が多いかというとそれこそ機械が錆付いているんだよ。何しろ中味は毒だらけ、毒がカチカチに固まって、機械の運転を停めているので、どうにも斯うにも動かないと来てるんだ。サテ然らば其毒という奴は、一体全体何の毒かと訊くだけ野暮だよ。じゃといって実は大きな声では言われないんだが、ツマリそのアレなんだよ。ハッキリ言ったが最後之助、阿呆の奴怪しくりからん事抜かす奴だと、叱られそうで危なくて仕様がないんだ。こう見えても、元来阿呆は肚は素敵に大きいが、気は馬鹿に小さいんだ。そこで怖々内密で、お知らせするがアノーソノー、何を隠そうクの字と言えば、ハハァー成程と頭のいいお方揃いのメシヤ教の御連中なんだから直ぐに判るで御座んしょう。

そんな訳じゃで今の世は、大々的に安本丹を製造して御座るんだから大変だよ。だがガッカリするには及ばない、ここにメシヤ教という、奴偉い宗教が出来たんで、一人々々の安本丹の、丸の中に溜っている毒を、奇麗サッパリ溶かして了い本当に生きている、人間様にするんだから、何と結構な宗教では御座らぬか。などとあんまり、手前味噌を並べ立てると嫌われるから、ここらでお終い、ハイ左様奈良。

(栄百一号 昭和二十六年四月二十五日)