文化の迷蒙

周知の如く、現在の日本としては、対外問題は別とし、対内問題を見る時、何が最も難問題であり、急速に解決しなければならないかというと、勿論結核問題であって之以上重要なものはないと言ってもよかろう。他の如何なる問題でも、智能と、金銭と、努力によれば、必ず多少の効果を顕わし、一挙に解決が出来ない迄も、漸次的に解決に向うのは、一の例外もあるまい。然るに独り此問題のみは年々多額の費用を使い、官民共に能う限りの努力を払いつつあるに拘わらず、何等効果を見ないばかりか、寧ろ年と共に増加の傾向さえ見らるるのである。故に此問題を吾々は何物にも捉われる事なく、白紙となって冷静に検討して見る時、前途は全く悲観の一途あるのみである。

とはいうものの、当局者も専門家も確信ある医学的智識によって対策を考究し、遺憾ないと思う程の施設方法を採り、努力しつつあるのを見れば何人と雖も相当の効果を奏し、結核は漸減するに違いない。と思わざるを得ないのであるが、豈計らんや、結果はそれを裏切って前述の如く、減る処か益々増えるというのであるから、普通ならば、疑念を起さなければならない筈であるに拘わらず、些かも其様な事なく、飽迄馬車馬的に、不確実な方法を続けているのである。而もそれによって、人民の血や汗の結晶である巨額の税金は徒らな浪費となり、多数人間の努力も空費となるに至っては、軽視する事は出来ないのである。

処が、吾々の曰いたい事は、現在政府が行いつつある、結核対策費の何万分の一にも足りない少額な費用を以って、結核は完全に治癒され、患者を漸減させる事が可能なのである。之は単なる言葉だけではなく日々多数に上る生きた実例によっても、明かであり、其報告は本教刊行の新聞雑誌に満載されつつあるにみて、一点の疑う余地はあるまい。処が此記事は結核対策の任に当る人の幾人かは、必ず見ない筈はないと思うが、今日迄それに関し訪ねて来た者は一人もないのであるから、実に不可解である。先ず神経の通っている人間なら、右の記事を見た以上首を捻って、本教が誇示するが如き事実が、果してありや否やを進んで検討しなければならない。事実之程官民共に年々努力を払っていてさえ、容易に治らないものが、薬も機械も使わないで、治るとは本当とは思えない程で、若し本当とすれば大問題であると共に、そうでないとすれば怪しからん宗教であるから、断乎たる処置に出なければならない訳になる。従って、何れにせよ大いに検討の必要ありとして、乗り出さなければならないに拘わらず、其様な事は今日迄ないとすれば、彼等の心理こそ実に解するに苦しむのである。察するに宗教だからという只それだけの理由でしかないのであろう。又今一つは彼等の考えは結核問題解決は、唯物科学より外には、世界中絶対ないと信じて、決めて了っているからでもあろう。恰度幕末期に於ける切支丹バテレンを恐れた人達と同様処か、寧ろそれ以上の封建的考え方ではあるまいか。

本当から言えば、急を要する之程の問題であり乍ら、どうしても医学では予期の効果を得られないとしたら、他に方法を求めるべきである。即ち結核が医学以上に治るものでさえあれば何でもいいとして、大いに探すべきであって、それより外に問題解決の鍵は絶対あり得ない事を断言するのである。としたらそれに当嵌まるべきものは、本教浄霊法以外他には決してないのであるから、それを実行さへすれば、それで此難問題も容易に解決出来るのは、火を視るよりも瞭かである。而も至極簡単に費用も殆んど掛らないで、目的を達し得るとしたら、何を苦しんで在来の方法を固守しつつ、目を他に転じないのであろうか、其盲点は見るに忍びないのである。本教が数年前より、実際効果を何程知らしても、目を蔽うて見ようとはせず、如何に声を嗄らしても、耳には入らないという現代智識人にも困ったものである。之が御自分だけの問題なればいいかも知れないが、それが為に幾千幾万の人命が犠牲になるとしたら、之以上由々しき問題はあるまい。寧ろ戦争にも劣らない悲劇と言ってもよかろう。

以上の如く、随分私は思い切って言わざるを得ないのは、全く現在の急迫せる事態を観るに耐えないからで、茲に一大警告を与える次第である。

(栄九十六号 昭和二十六年三月二十一日)