薬毒

本教が常に薬毒に就て注意を与えているが、左の新聞記事は、よくそれを證明しているから、載せてみよう。

昭和廿五年十二月六日 朝日新聞所載
その薬待った
看護婦「薬」誤って調合
『千葉発』五日朝八時頃、千葉県海上郡矢指村岩井松五郎村会議長は、同村議十四名と湯河原温泉を経て静岡県下の診療所視察に出発したが、出掛る時 同村診療所看護婦鈴木清子さんが調剤した胃痙攣薬を持参した。処が此胃痙攣薬はブロバリンとエンサン、モルヒネの調合薬で、服薬するには百倍にうすめねばならぬのに、過って十倍にうすめただけで、岩井さんに渡して了った。後で之に気づいた鈴木看護婦。そのまま飲まれては即死とあって、慌てて同日午後六時すぎ海匝地区署へ届出た。

服薬前で無事
緊急手配で奏効
『横浜発』其薬の服用待ったと、岩井村会議長等村議一行の行方を探す緊急手配は、五日午後六時半国警千葉県本部から、同神奈川県本部を通じ湯河原町署へ飛び込んだ。同町署ではそれっとばかり、旅館組合や駅前の客引所などへ電話でリレー「チバなまり」のお客はいないかと大騒ぎ。驚いた旅館組合では八方へ手配十分後に村議一行は同町加満田旅館で、暢気に湯につかっているのを発見。同署稲本巡査は直ちに電話に岩井村会議長を呼び出し、持参の薬は一服で即死の劇薬である旨を伝え、全員事なきを得た。

以上によってみても、薬というものは本来毒物である事が明かである。只量の多少によって、薬ともなり毒ともなるのである。即ち此例の如く此薬剤が十倍なれば致死量となり、百倍なれば一時的ではあるが効を奏するのである。そうして胃痙攣に効くというのは、どういう訳かというと、抑々胃痙攣とは勿論浄化作用であるが原因はやはり薬剤服用の結果である。

胃痙攣患者を診査する場合患部に微熱があると共に、胃の背部を見れば、必ず板の如き固結があり、此部も微熱がある。然るに施術の場合胃部の痛みであるから、前方から浄霊するが、之は些か的外れである。だから或程度の軽減はしても、全く痛みは去らないというのは真の原因は背部にあるからで、背部の胃の裏に当る処を浄霊すれば全く痛みは去るのである。之は一寸不思議に思うが実は大いに理由がある、それは斯うである。

人間が少し胃の工合が悪いと、直に薬を服みたがる。薬を服んで仰臥するから、薬は胃の袋を滲出下降し、背部に凝結する事となる。而も、其量が、段々殖えるに従い、背部の固結は漸次増大する。それが或程度に達するや浄化作用が発り微熱によって溶解され、液体化した薬は胃に還元する。其時は薬質は変化して猛毒素となる。此毒素が胃中に入るや、胃は急遽それを外部に排泄しようとして運動を起す、それが神経を刺戟して激しい痛みとなるのである。何よりも痛みは漸次下降し、腸を通って下痢となり排泄するにみて明かである。

胃痙攣の場合、其適薬を服むと無痛となるのは其薬によって胃が麻痺され、浄化排泄が一時停止されるからである。之によってみても、薬剤ではなく毒消であり、薬効とは一時的浄化停止による苦痛緩和法でしかない事を知るであろう。

(栄光八十八号 昭和二十六年一月二十四日)