最近、御守から発する光が、レントゲンより強力である事が、科学的に證明されたので、其報告が下記の如く一信者から送って来たから、簡単に茲に説明してみよう。之は私が常に曰う如く、私のかいた文字から光が出ると共に、文字の意味通りの活動が発るという事で、それが今回の事実によって明かにされたのである。
現在の如き、唯物科学至上の時代に於て、右のような記事を見るとするも、何人も其儘信ずる事は不可能であろう。と言って事実は事実であるから如何に唯物主義者と雖も否定の仕様はあるまい。
衆知の如く、本教の急速の発展は、現代に於る驚異の的とされている。それが為兎角問題にされ易いが、其殆んどは唯不思議と言うばかりで、進んで其原因を突止めようとする者は、寔に少ないので、吾々は常に遺憾に思っている。
抑々本教発展の理由は信徒によって行はれる浄霊という病気を治す方法である。之によれば病気は実によく治る。凡ゆる療法を受けても治らない者や、医師から死の宣告を受けた者等の重難症が、速かに治るばかりか、病気なるものの本体も、健康の真相も、徹底的に把握されるのである。従って文字通りの安心立命を得て、歓喜の生活者となるという訳で入信する事となる。勿論、他の信仰的理由もあるが、病気がよく治るという一事が、本教発展の主因となっている。
そこで浄霊とは、如何なるものであるかを説明してみるが、先ず本教へ入信するや、最初に御守を下附され、それを首に掛けると、忽ち病気を治す力が出る。というのは、御守から強い光が発生し、施術者の体を通じて掌から放射されるのである。言う迄もなく、之が神霊の光であって、普通は目に見えないが、偶には肉眼で見る人もある。此光がレントゲン以上の強いもので判り易くいえば、光の微粒子がレントゲンのそれよりも、幾十倍の微粒子である為、空気が透過するから見えないのである。元来、物質の法則は微粒子程密度が濃く、密度の濃い程不可視となると共に、それに正比例して強力となるのである。此意味に於て、科学が進歩の極点に達する暁、神の光の微粒子も判明する訳である。之が科学と宗教と将来一致するという、常に私の唱える説の具体化である。
此事が、認識出来れば、本教の病気治しは、最も進歩した科学的方法であり、廿一世紀の医学であるといっても、決して過言ではないのである。
宮崎県K・S
昨年の始め頃から胃が痛み食欲が減退して来ましたので、医師に診せました処胃下垂との事で仕事を休んで養生致しておりましたが、薬を飲んで居る間は癒った様ですが止めると再び悪くなり、少しも快方に向わず日夜苦しみ続けて居りました。延岡から二時間程船に乗らなければならない不便な漁村に住んで居る私には治療すると言えば仕事を休んで延岡に滞在して受けなくてはならず、実に弱って居ました。或る時仕事の関係で漁村に帰る船中で一青年が救世教の有難い話と御守様を頂く事に於て色々の難病が癒された例を話して居ましたが別に気にも止めず、そんな事があるのかなあと聞くとも無く聞いて居りましたが、その儘で忘れ去ってしまいました。
偶々村の配給所のHさんの娘さんが首の後が大きく腫れて電気治療も駄目、医師もギブスをして長く入院しなくては癒らないだろうとの事で弱って居られました処を、光明如来様にお縋りし延岡の教会から御守様を御受けになり、唯の五回の浄霊で元の様に癒り皆が驚いて居ると言う事を御聞きし、
私もこんな苦しい状態を続けて居るより物は試しだから医者を止めて神頼みと、八月二五日に延岡の教会に御伺いし御守様をその場で御受けし御浄霊を頂きました。行く道々は体がだるくやっとの事たどり着いたのですが、一回の浄霊で気分は爽快となり家に帰ると何時もの御粥を止めて、先生から言われた通り普通食を頂きそれでも飽き足らず街に出て飲食店で滅茶喰をやりました。久し振りの胃の調子で唯嬉しさの余りと御浄霊の偉力を試したのですが、次の朝は先生が下痢をするだろうと言われた通り下痢があっただけで、他には何の変化も無く不思議な結果に唯驚くばかりでした。
その日は医師と以前からレントゲンを撮る約束をして居りましたのでレントゲンを撮るだけなら悪くもないだろうと御守様を上衣のポケットに潜ませて病院へ行きました。レントゲン室には私と同様に撮る人が三、四人来て居りました。私の番になって半身裸体になり御守様はズボンのポケットにしまって撮りました。結果は面白い状態が起りました。私の前の人も後の人も写っているのに私の丈はボンヤリ曇って失敗して居るのです。技師は頭を傾けながら今一度撮り直しをやりましたが、亦一緒に撮った人々のは良く写って居るのに私丈は先刻と同様なのです。技師はこれは不思議な現象だと言って医師を呼び機械を調べたり、電圧を調べたのですが機械は正常、電圧は一〇〇ボルトで正常、当然狂いは無い筈です。勿論如何に調べたって一緒に撮った人のは一回も二回も皆写って居るのですから、再度別の患者と撮り直しを行いました。
今度は医師が撮りましたが驚くべきは矢張り結果は前二回と同じです。他の人のは立派に写って居るのです。レントゲン撮影は三度とも失敗に終ってしまいました。医師もこの失敗には頭を抱えて居りました。
光明如来様は私にそんな事をする必要はないのを知らしめて下さる為に奇蹟を見せられたのでしょう。私はそれ以後医師の不必要を知り光明如来様の御力に縋るのみで健全なる体になる様、毎日教会に通い御浄霊を頂き以前の如き体を取戻しつつあります。
科学の力を超越する大御力の偉大さに今更乍ら驚きと恐懼感激を覚えました。厚く御礼申上げます。
(栄光八十二号 昭和二十五年十二月十三日)