西洋医学の大革正と観音力療病の大偉勲 扁桃腺肥大は切らずに完全に除去さる

近時児童に多い、扁桃腺肥大症は、手術によって切除すべしと、医師は大いに奨めるのである。然し、被手術者は児童であるから苦痛の忍耐をし難(ガタ)いのと、其両親が、吾児(コ)の痛苦を見るに忍びない事などの為に、医師の奨めに応じないで、躊躇逡巡してゐる者が非常に多いのであって、之を如何にするかは今日の切実なる問題であらう。

然るに此困難な問題が、容易に解決されるといふ、一大福音を、天下に告知したいのである。それは、如何なる扁桃腺肥大も、手術によらず、一滴の薬剤も使用せず、随而、何等の痛苦もなく単に指頭の技術によって除去され得るのである。而も、数回又は十数回で完全に除去せられ、再発の憂ひが無い事である。

扁桃腺に就ての、医学上の研究、成果は、未だ不完全である。医学上の解釈によれば、扁桃腺肥大症は、風邪に罹り易く、随而、発熱し易いといふ事、今一つは、小児に於ては、頭脳が鈍感であるといふのである。故に、手術による切除によって、右の諸症は、完全に解消されると言ふが、成程一時的効果は確にあるが、将来に於て、或種の疾患発生の原因となる事を知らないのである。

何となれば、人体の凡ゆる器能は、不必要なものは、一つも無い事である。全智全能である造物主は、決して不必要な物を造られた筈はない訳である。扁桃腺にしろ、虫様突起にしろ、不必要な如く見らるゝが、実は重大な役目をしてゐるのである。

今、扁桃腺に就て、如何に重要器能であるかを説明してみよう。腺病質と言はるゝ児童は、必ず左右の耳下腺、淋巴腺、扁桃腺に、水膿溜結を見るのである。それ等膿結は、人体に於ける、自然浄化作用に因って、絶えず外部へ排泄されんとしてゐる、そして其排泄口が、即ち扁桃腺であるから、扁桃腺肥大は、其排膿が、停滞固結してゐる状態なのである。それは、其児童が、弱体の為に排泄する力が足りないからである。若し其児童の健康が、旺盛であれば、心臓が活動し、熱を吸収して、其停滞膿結を溶解排除して了ふものである、それが即ち急性扁桃腺炎なのである。

扁桃腺切除の結果、一二年は確に効果はあって、風邪発熱は、大いに減少するが、それから後が問題である。何となれば、排膿口たる、扁桃腺を失った為に膿は、自然淋巴腺及び耳下腺に溜結するからである。其結果反対の方面、即ち耳孔(ジコウ)から、排泄されようとするので、それが、中耳炎である。然し、中耳に排泄する力さへ有たない。弱体者の膿結は時の経過に依って、膿悪性になってゆく、それは、微熱を伴ふ様になるのである。そうなると、咽喉(ノド)が乾燥するから、軽微の咳嗽もあり、且つ、風邪に罹り易くなるのである。此症状の時、殆んどの医師は、肺尖加答児と誤診するのである。それは、其症状からいへば、無理もないのであるが、実は此時の肺は何等異状は無いのである。そうして、肺患の治療を始めるが、其治療は、病症に適合しないが為に、漸次、衰弱を増し終には、真の肺患症状にまで進むのである。又、此際の絶対安静法は、衰弱に拍車を掛ける様なものである。私が、多くの小児肺患者を取扱った経験上、患者の、七八割迄は、此種の誤診されて衰弱をした、肺に異常の無い、肺患者である事に驚くのである。

又医学上では、扁桃腺肥大児童は、脳神経痴鈍であるといふのである。之も、私の研究によれば扁桃腺肥大其ものは、直接、脳神経に、影響は無いのであって、之も、医学の研究不足である。それは、如何なる訳かといふに、扁桃腺肥大の児童は、例外なく、頸部の周囲に、多量の水膿溜結を見るのである。それが為、脳へ送流する血液が、妨げられる結果、脳の血液不足による、器能の不活溌が、脳神経痴鈍とならしめてゐる。此点現在医学の解釈は、余りに単純であると、思ふのである。

研究成果が、不充分であるのに係はらず、貴重なる人体器能を、軽々しく切除するといふ事は少くとも、慎重なる態度とは、言へないであらう。然し、一歩譲って、それが、万全であったとしても、患者に痛苦を与へ、不具たらしめ、費用と時日を、相当要する所の医術は、尠くとも、文化的と言へない事は勿論である。私は、メスを使用し肉を切り、血を出し、針を刺さなければならない医術は、実に野蛮であるとさえ、思ふのである。

此点に於て、我観音力療病こそは、世界に誇るべき、完全医術であり、廿一世紀の医術であらう事である。

(昭和十一年四月十一日)