観音運動は日本精神運動なり

今や日本に於ける、革新的機運は、澎湃として政治に、経済に、教育に凡ゆる国家的機構を、揺り動かさなければ止まない勢ひすら示してゐる事である。之は全く、天意ではあるまいか、吾等が常に唱え来った、日本精神への還元でなくて、何であらう--

彼の明治維新は、幕政を解消し、天皇政治の本然への還元であった、そうして今日は、それと異ふ意味の、昭和維新とも言へる形態を、多分に具えてゐる事である。それは言ふ迄もなく、西洋文明の無差別的吸収と模倣の専心でもあった時代へのエポックでもあり、一大転換でもあらう。

茲で吾々が、常に主張してゐた持論を、再読され度い事である。そこに何と書いてあったか、それを繰返して見やう、東洋の精神文明と、西洋の物質文明を、遺憾なきまでに採り入れて、其二大文明を調和融合し、茲に新しい、日本独自の文明を創建して、今度は逆に、世界へ向って演繹する。即ち、求心から遠心への-受動から能動への一大転機のそれである。そうして終に、人類全体を救ふといふ-それが日本本来の使命であるべき事である。

其時が来たのだ、それの第一歩が来たまでだ、唯物本位の猶太精神を捨て去って、否、第二義に下して、日本精神への第一義的飛躍であり、高揚でもあるのだ。故に、此事を把握なし得る者が、今日以後の時代の新人であり、此真相を透観し得ないで、相も変らず、猶太式自由主義の墓所に低徊して、離るる事の出来ない人こそは、終に時代の落伍者となるであらう。宛も、維新当時の神風連のそれのやうに-今日迄の日本人意識は外国文明に駆使されて来たのであった、その魂迄も蝕ばまれるまでにであった。日本人であり乍ら、英国を、米国を、露西亜を、独逸を、伊太利を憧憬讃美して、その魂は外国人になってゐた、併もそれが、指導階級である処のインテリ群であった事が、思想の混乱と、階級の軋轢と、利欲闘争と、もろもろの矛盾とを生んで窮りがなかった、而もそれらを、得々として、文化の進歩とさへ伐(ホコ)ってゐた事であった。

視よ一切の動向は、いとも自然に、偏頗(ヘンパ)なく進んでゐる。物質文明の究極、それは闘争であり、其闘争の次に来るもの、それは文明の崩壊である。今、全欧羅巴を見よ、それは如実に、併も緩慢でなく、一歩一歩、其崩壊線に進んでゐる危機は、誰が眼にも映って、否定する由もない。

真の意味に於ける、平和的精神は、独り日本民族に、天賦的に与へられてゐる事に、もう日本人自体が、気が付いてもいいであらう、そうして、而も、物質文明を、世界の何国人にも劣らない丈けに、技能も、発展性も把握して遺憾がないまでに、なってゐる事である。

茲に民族的使命の発見がある。それは平和的、精神的である日本人が、東西両文明を融合し、新しい真文明を創造する、それによって初めて、全人類は更生し、恒久の平和は茲に、確立するといふ事である。此意義を通してのみ、現実的革新の本質を知る事が、出来得るであらう。

(昭和十一年三月二十三日)