政府へ建議する

現在日本が直面しつつある此重大時局-即ち大戦争に勝ち抜く為には、今後の時局に即応しない古い機構は一大英断を以て改革すべきである事は、最早論議の余地はあるまい。政府に於ても此所に見る所あるか、事変以来今迄に見られない程の革新的政策を次々行ってゐるといふ事実は、洵に快心に堪へないものがある。それに就て私は、現在最も喫緊事である人的資源の問題に関し、此際一日も早く政府に於て実行すべきであると思ふ一つの案を提出せんとするのである。

曩に詳説した如く人的資源の問題を解決するには、何よりも罹病者を減少せしむるといふ事で、それ以上の良策はないのであるが、それには真の治病の力ある医術を要求するのは勿論である。然るに、政府は今日まで西洋医学のみに依存して他を顧みないといふのが実情である。それは政府としては西洋医学以上の治病効果あるものは 絶対に他にないと断定してゐる為であらう。然るにも拘はらず西洋医学的凡ゆる方策を講ずるも、予期の如き効果がないのみか益々悪化の傾向を辿りつつあるといふ事実であり、特に結核問題に就て然りである。私は政府に対し、此際一大改革を要望するものである。それは西洋医学以上の優れたる療法が民間にある事実である。而もそれ等の者は黙黙として日夜国民保健の為に努力し、絶大なる効果を挙げつつあるに拘はらず、未だ世に認められずして冷遇されつつある一事である。

今日本は、戦力の増強に向って官民共に大進軍をなしつつある。之に対し私は西洋医学依存の夢から醒める事ほど右に対する効果はあるまいと思ふのである。否一日も早く目覚めない限り、国家の前途危しと言はざるを得ないと思ふのである。それに就て私は、最も容易にして有効なる一案を提唱したいのである。此方法によれば国民保健問題解決の基礎となるであらうと共に、此様な方法を必ず実行しない訳にはゆかない時の来る事を想ふのである。その案といふのは左の如きものである。

一、先づ、結核患者十人を選択する。其理由は、此病気は余り差異なき同一症状を択 ぶに都合が良いからで、又今日最も解決を要すべきものであるからである。右十人に対し、西洋医学(内科的又は外科的)灸点、栄養療法、電気、指圧、精神 療法、霊気療法、自然療法、其他の種類を合せ、合計十種の治療者を選び、最初一 ケ月間の予定を以て治病試験を行ふのである。その結果として、或物は良好に向ひ、或者は無効果であり、或者は悪化するであらう。然し一ケ月間のみにては、其 結果は確実とはいひ難いから右の方法を繰返すのである。即ち復新しい十人の患者 を一ケ月続ける。斯くする事十回即ち十種の療法を十ケ月続ける訳である。斯様に すれば、有効果と無効果と悪化との区別が判然とするであらう。従而政府に於ては 無効果及び悪結果の療法は、有効果療法に転移させるのである。勿論同じ効果であっても、十種の中、最優効果を採択すべきである事は勿論である。

右の如き、第一位に採択されたる療法こそ一挙に難問題である国民保健問題-特に結核問題を解決するに役立つであらう。而も僅々十ケ月間の日子と些細の手数によって解決さるるのであり、其効果は根本的、永遠的であり、而も重大時局を解決する基本的条件となる以上是非実行すべきであると思ふのである。

右の方法実行の場合、相当の困難と思ふ事は、其治療者の選択である。之に就て私見をいへば、官報又は新聞紙の広告等によって弘く天下の逸材を集めるのである。然し乍ら問題の性質上、余程の自信がなければ応じられない訳であるから、申込者は相当の技能者とみて差支へなからう。従而万一多数の場合は前述の十人宛を何組に増加しても良からうしそれが一ケ月宛の試験によって無効果又は悪結果は漸次淘汰され、優秀者のみが残る事になり、その優秀者から又選択せられて、最後に最優者即ち第一位の療法が残る事になる訳である。但し、如何に優秀な療法であっても門外不出的の一代限りのものであってはならない。何人と雖も修得すれば実効果あるものでなくてはならないのである。右の如き試験の結果採択されたる第一位の医術こそ、将来の日本医術となるであらう。

次に今一つ附録として桜沢如一氏著、成史書院昭和十六年十月五日発行の、題名「日本を亡ぼすものはたれだ」の中に「西洋医学の現状」といふ項目があり、なかなか面白いと思ふ記事であるから、爰に抜載する事にした。

十八世紀に旭日昇天の勢を以て発達し、十九世紀末葉にその全盛を極めた西洋医学は、その切支丹伴天連的テクニック-即ち顕微鏡とメスと、麻酔剤と血清や光線の如き薬物、物理療法-を以てすっかり欧米全体の大衆を籠絡(ロウラク)し瞞着した。開国と同時にこの西洋医学に馳せつけた日本人は、その生来の徹底的没頭を好む精神からこの眩惑すべき医術に深入りする事に人後に落ちなかった。それが為には、数千年来の伝統を直ちに放棄し、之を再吟味さへ惜んだものである。然るに西洋では二十世紀に入るや、すでにこの分析的な西洋医学の功過漸く明かとなり殊に欧洲大戦に於て西洋科学文明理想幻滅の悲痛を味ひ、不安の深淵に沈んだ人々は更に不治病の増加と死亡平均年齢低下の脅威の為に、科学の仮面をつけた医学に対しても信頼を失って了った。実際の処私の寡聞の範囲ではあるが、欧洲知識階級で、今日尚所謂西洋医学を信頼する人々を私は殆んど知らないのである。それを裏書する事実を例示する事は最も容易な事である。-これはドクトル・アランヂー氏の明言せる如く、西洋文明国に於ける今日の医師は患者の御用聞きであって或は繃帯をしたり、手術をしたりする一種の労働者であるか、或は精神病院といふ実は牢獄兼下宿の番人であるか、或は色々な證明書-例へば労働不能、糞便検査、死亡證明等-の署名を専門とする一種の代書業者として漸く生活の保證を得てゐるのである。医術を職業にまで低下せしめた医師は一種の社会的寄生虫であるが、その病人への寄生生活も、もう行き詰ってしまった。又一九二九年以来毎年、私は仏国医師会会長が全国中等学校卒業生に一々通信を以って 医者となる事を断念する様に諫告(カンコク)してゐるのを知ってゐる。それによれば、仏国はも早医者で充ちてゐる。即ち人口千五百人に対し一人の医者がゐる。此統計的数字的事実は、医者の生活安定を、その恒産によって保證され、医術を以って世に貢献奉仕し、何等報酬給付を目的としない者でない限り、医家志望は断然中止して欲しい、といふのである。アランヂー氏の言ふ如く、実際西洋医学及び医者は名誉を失ひ其上信用をも失ひ、遂にパンをさへも失って了ってゐるのである。非医学、非医者の流行は日を追って進み綜合医学はその先頭に立ってゐるのである。これがフランス人のみでなく、欧米全体である事は「西洋医学の新傾向」で了解されよう。かくの如き実際を日本人が、まだ知らないのは一見、甚だ可笑しく信じ難い様であるが、それには訳がある。即ち日本人はまだ西洋を知らない。まだ切支丹伴天連奇術に、眩惑されてゐるのである。そして明治開国以来七十年一日の如く、その眩惑的奇術的方法-メス、光線、顕微鏡、麻酔剤、電気、磁気、或は新しい薬物等の無限の新手法をのみ求める為にこそ、年々莫大な費用をかけてゐる。彼等は一度西洋に渡るや、追々影のうすれて行く西洋医学の研究に没頭して、広々とした西洋の天地を眺める様なことはしない。大家になった教授達が派遣される時は、勿論、昔馴じみの畑ばかり見て来る。

然し断っておきたい事は私が西洋医学や医者を非難しようとは夢にも思ってゐない事である。彼らはそれを、よし教授にもせよ開業医にもせよ、職業-パンの為に-してゐるのであるから。余剰価値を搾取する人々や、他人のXを盗む人々が許されてゐる様に、この寛大な娑婆世界では更に非難すべきでない。たゞ同じパンを求めるにも、他人の罪悪や病気のおかげでパンを得たり、人類全体を病弱と享楽によって(医薬により自然淘汰機構を害し)破滅の淵に陥入れる様な罪業を積まねばならない人々は、パンの為に海に漁り、山に鳥獣を狩り、生類の生命を断つ様な生業をせねばならない人々よりも、もっと気の毒な籤を引いたものだと思ふだけである。他人の財を盗んで自分を直ぐ罪に晒さねばならない様な境遇の人々の方がよほど罪は軽小である。と思ふだけである。と云っても、医者に苦しめられる人々を気の毒だなどと云ふ様な事も夢にも思ふべきでない。彼らが医者に搾取されるのは(財にもせよ、生命にもせよ)丁度ベラ棒が泥棒に於ける如き関係を持ってゐる。彼らが医者を作るのであるといふ点から云へば、彼らの罪が重い。然し、彼らが苦しめられるのであるから、その罪はいくらか、償はれてゐるとも云へよう。

(明日の医術 第二篇 昭和十七年九月二十八日)