栄養食ですが、之は、現在程度の学問では未だ判らないと思ふのであります。何となれば、飲食物は、人間の口から入って胃へ行き、それから腸或は肝臓、脾臓、腎臓など、各種の消化器能を経るに従って、最後は其成分が一大変化をしてしまふであらふ事です。如何なる食物と雖も、原質とは全く異ふ迄に変化するでせう。
青い菜葉や白い飯を食って、赤い血が出来、黄色い糞が出来るといふ事だけを考へても、その変化力は想像し得らるるのであります。故に、滋養物を食ったから滋養になると思ふのは、消化器能の変化力を算定しない訳であります。試験管内では、よし滋養物であっても、人間の体内は全然違ふべきで、血を飲んでそのまま血になるやうに思ってるが、それはまるで筒抜のやうなもので、消化器能がないやうな理屈であります。然るに実は-消化器能なるものは、一大魔術師であります。
本来からいへば、食物は未完成な物即ち原始的な物程霊気が濃いからいいのであります。
食物の味は霊気が濃い程美味であります。新しい野菜や肴は、霊気が発散してゐないからそうであります。
栄養学上栄養でないとしてゐる物を食っても立派に生きてゆける事実は、よく見受けるのであります。曩に栃木県に松葉ばかり食ってゐる六十幾才の老人に私は会った事がありますが、普通人よりも元気で、色沢(イロツヤ)も好い。之等は栄養学から言ったら何と解釈するでありませうか。
消化器能の活動といふものは、大体食物が入ると必要なだけの栄養素と必要なだけの量に変化させるもので、厳密に言へば、食物の栄養素五分、消化器能の変化活力五分の割合でありますが、それは消化器能の方が主体なのであります。何となれば、消化器能さへ完全であれば、粗食と雖も栄養に変化させますが、如何に栄養を摂っても、消化器能が衰弱しておれば栄養不足になるのは誰も知る事実であります。之を観ても、栄養は従で、消化器能の方が主である事が明かであります。
元来、食物なるものは神が人間を生存さす為に造られてあるものですから、その土地で採れた魚菜を食ふ事によって、自然に栄養に適してゐるのであります。
又、種々な種類の食物があるのは、種々な物が人体に必要だからであります。之は国家社会の機構と同じ事で、一の国家社会が形成される場合、政治家も経済家も富豪も貧民も、官吏も商人も職人も芸術家も、それぞれ必要があって、職人にも大工も左官も帽子屋も織物屋も下駄屋も悉く必要であるやうに、一切は必要によって生存し必要によって滅亡するのであります。ちょうど人体を構成してゐる成分も、又、凡有る食物もそれと同じであります。ヴィタミンABCだの、含水炭素所ではない。将来幾十幾百の栄養原素が発見されるか判らないが、最後は嗜好する種々の物を食へばそれで良いといふ、単純な結論に帰納する-と想ふのであります。然し、食欲を増進させる為-調理法の進歩は希って歇まないのであります。それですから、凡有る食物は皆必要があるからで、「其時食べたい物を食ふ」といふのが原則で、食べたいといふ意欲は、其時身体の栄養にそれが必要だからであります。「良薬口に苦し」などと謂ふのは大変な誤りで、美味しい物ほど薬になるのが本当であります。
それだのに何が薬だから食へとかいって、不味いのに我慢して食ふのは間違っております。
私の研究によれば、世界中の人類の食物の中で一番良いのは日本食で、之が一番栄養が多く、従って長生きが出来るのであります。今度の国際オリンピックの選手は、特に日本食品を持って行ったそうです。今迄彼地へ行って、彼地のものを食ふ為にいつも弱るんだそうです。之は慣れないといふ点もありますが、確かに日本食は良いので、吾々は日本食こそ「世界一の栄養食」と思ふのであります。
其訳は、霊気が強く、血液を濁らせる点が寔に尠いからであります。 次に「食事の時間」とか「食物の分量」を決めるのも間違っております。何となれば、食物は各々その消化時間が異ってゐる。つまり三時間もかからなければ消化出来ないものもあれば、五時間も六時間もかからなければ消化出来ない物もあります。 又、食事の分量を決めるといふ事も間違っております。何故なれば、腹の減った時には余計食ひ、余り減らなければ少し食ふのが自然であり、それが衛生に叶ってゐるのであります。
食事の時間を決めるのは、ちょうど小便する時間を決めるやうなものであります。 「食べる分量」を決めるのは、一年中、浴衣ばかり着てゐるやうなもので、夏は浴衣を着、冬は綿入を着て調節をしなければならないのであります。
理想的に言へば人間は「食べたい時に食べたい物を食べたい分量だけ食ふ」といふのが一番衛生に叶ふのでありますから、せめて病人だけはそうしたいものであります。然し勤務などの関係で時間の調節が出来ない人は、先づ分量で調節するより仕方がないでありませう。腹八分目といひますが、之も間違ひで、食べたいだけ食べて差支へないのであります。
私は、美味しくなければ決して食べない主義ですから、食物の不味いといふ事は全然ない。
そして食べたい時腹一ぱい食べ、腹の減る時はウンと減らすので、ウンと減らせば胃腸の中はカラカラになりますから、瓦斯発生機ともいふべき醗酵物は聊かもない。そこへ食物が入るから消化力の旺盛は素晴しい。此様に、食物を美味しく食べて、胃腸が健全になるといふ-結構な方法を知らない人は、私の行ってゐる事をお奨めするのであります。
胃病の最初の原因は酸酵物停滞がその重なるものであります。
私は十年以上二食主義を実行しておりますが、非常に結果が良い。此方法は、都会人には適してゐると思ふのであります。其訳は、霊気が強く、血液を濁らせる点が寔に尠いからであります。
次に、食物には動物性食餌と植物性食餌とありますが、大体に両者半々に食ふのが原則であります。
魚 鳥 五分
野 菜 五分
然し、男子は、活動する場合は、魚鳥七分、野菜三分位迄はよろしい。やむを得ず獣肉を食はなければならない人は、一週間に一回位なら差支へないのであります。 又、良質の血や肉になる栄養は野菜であり、欲望とか智慧の出る栄養は魚鳥にあります。
年を経(ト)って欲望の必要のない人は植物性を多く摂るのが良いのであります。婦人は欲望や智慧が男子程要らないから、野菜を多く摂る方がいい。野菜七分、魚鳥三分位が最もいいので、人の女房でありながら、家を他所にし、家庭の事を顧みないやうな婦人は、その原因として魚鳥や肉食の多量といふ事もあるのであります。
又肉食が多いとどうしても性質が荒くなり、闘争や不満破壊性が多分になります。彼のライオン、虎の如きがそれであり、牛馬の如き草食動物は柔順であるにみても瞭かであります。
又米は七分搗きが一番良い。胚芽米よりも七分搗きの方が良い。総て物は、中庸が一番良いので、玄米は原始的過ぎ、白米は精製し過ぎる。大体五分搗が良いのですが、祖先以来白米を食ひ慣れてゐるから、白米に近い七分搗き位がちょうどよい訳であります。
どういふ物を余計食ひ、どういふ物を少く食ふのが良いかといふと、甘い辛いのない物を余計食ふのが原則であります。それで米や水の如きものを一番余計に食ふやうに自然になってゐるので、中位の味は中位に食ひ、酸い物、辛い物、甘い物等の極端な味の物は少く食ふのが本当であります。病人などによく刺戟性の辛い物を禁じますが、吾々の解釈は異ってゐる。必要がある為に辛い物を神様が造られてあるのであります。香味、辛味は非常に食欲を増進させる効果があるので、病人と雖も少し宛食ふのが本当であります。
又何が薬だとか、何が滋養が多いなどいふのも間違ってゐるので、如何なる食物と雖も悉く人間に必要の為に造られてある。それを不味いのに我慢して食ふのも間違ってゐるし、食べたいのに食べないのも間違っております。
又、滋養剤などもあまり感心出来ないのです。何となれば、食物は精製する程滋養が薄くなる。それは霊気が発散するからであります。霊気を試験管で測定出来る迄に未だ科学が発達してゐないのであります。
飲酒
之も飲まぬ方が良いのであります。酒は百薬の長などと言ひますが、場合によっては五勺か一合位はいいが、大酒は悪いに決っております。之は事実ですから、説明の必要はないと思ひます。
又煙草は吹かすのは可いが喫み込むのはわるい。吹かすのは鼻から香を吸って脳を刺戟するから頭をよくする。考へ事をする時など実に効果があります。
世間頭の良い人で煙草を吹かす人が多いのは事実でありますから、頭の良くなりたい人は、煙草を吹かすと宜しいのであります。
運動は、如何なる病気でも、苦痛でない限りするほど良いのであります。
空気は、無論、浄い空気を吸った方がよいのですが、今日の世間でいふ程、重大な影響はないのであります。埃を吸っても害は僅かで、何より肝腎なのは霊気であります。
睡眠に就ては、近来結核などは充分に睡眠を採らなくてはならないとされてありますが、吾々が実際研究してみますと、睡眠不足は頭脳には確かに影響があるが、結核には影響がないやうであります。然し、精神病者には大関係があります。精神病の最初は睡眠不可能からであり、精神病治癒の初めは睡眠可能からであるにみても明かであります。
然し、睡眠は習慣で或程度どうにもなる。私は曩に八時間位眠らなければどうにもならなかったのですが、近年それが不可能になった為、今は五時間位の睡眠であります。処がそれが慣れるにつれて何ともないので、睡眠不足などといふものは一時はあるが、世人が思ふ程の苦痛は無く、又それ程害がない事が判ります。彼の米国の大発明家故ヱヂソン氏は、研究室に入ると、一週間位寝ずに打通したそうであります。処がヱヂソンの助手は、自分達にはとても真似が出来ないと思ってゐると、誰でも出来るとヱヂソンが言ふのでやってみた所、最初は苦痛であったが、段々慣れるに従って出来るやうになったといふ話があります。
又よく疲労をやかましく言ひますが、之も吾々の説は異ふのであります。
吾々の方では、運動に因る疲労は非常にいい。例へていへば草など陽にあたると一時はだれるが、一晩越すととても威勢が良くなる。それは疲労したやうに見えるのは疲労ではなくて、一晩寝ると元気が恢復する-それと同じであります。ですからどしどし疲労した方が健康が増すのであります。又、樹木にしても大きな風が吹いて木を揺ぶるので、根が張るのであります。
(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)