肺病(二)

肺浸潤に付て説明をする。此病気は肋骨及び肋間に溜結したる毒素の浄化作用である。其際必ず微熱がある。それによって溶解した毒素が肺へ浸潤し、喀痰となって排泄されるのであるから、必ず治癒すべきものであって、それは何等の療法をせず放置しておけば自然治癒するのである。然るに医療は湿布をしたり、薬剤を使用する。元来、人体は皮膚からも毛細管を通じて呼吸してゐるのである。湿布は此呼吸を止めるのである。呼吸が止まるからその部の新陳代謝が弱る。新陳代謝が弱るから浄化作用が停止する。浄化作用が停止するから解熱する。解熱するから毒素の溶解作用が停止して固まる。即ち、浄化作用発生以前に還元するのである。故に、予後運動などして活力旺盛になれば再発するのである。そこで医家は激しい運動を戒しめ、過労を恐れるといふ訳である。

肺壊疽に就て説明する。之は肺の近接部又は、肺の内部に腫物が出来るので、症状は発熱、膿の如き喀痰又は血痰、痛苦、呼吸逼迫等が重である。之も自然治癒によって腫物の膿又は毒血、漸次排泄されて完全に治癒するものである。此際医療は凡ゆる浄化作用停止を行ふ為に、多くは慢性となり、衰弱死に到るのである。 粟粒結核、之は肺胞に粟の如く微細な毒血が生ずるのである。此原因は凡ゆる喀痰は、肺臓を通過して気管から排泄するのであるが、喀痰によって毒素の強弱がある。故に、強毒が肺胞に触れて、右の如き症状を発生するのである。恰度或種の膿が皮膚に附着すると、粟粒状の腫物を生ずると同一の理である。

肺臓癌は、最も恐るべき症状であって、然し極稀ではある。此病気の多くは、肺臓そのものに癌が発生したのではなく、他部に発生した癌が漸次移行して、肺臓を犯すといふのが普通である。先づ之は不治とみてよろしいのである。

(医学試稿 昭和十四年)