現在、医学研究の為に、日本だけに見ても幾千の人と、一ケ年幾百万の費用を使って、研究に専心没頭しつつある事である。それは吾々から見れば、全く徒労のやうな気がしてならない。忌憚なくいへば、それ等は一小部分に溜めてをいて、今一層有意義なる事に転向したならばと常に思ふのである。
斯んな事を言えば、狂人の言葉とも見られるかも知れないが、以下の論旨によって、深く検討されたいと思ふのである。
一体、医学の目的とは何ぞやと言へば、言ふ迄もなく、人間病気の根絶である。それ以外に何物もあり得ない事である。故に、日本は固より、全世界文明国の医に携はる数多の学者権威が智能を絞り、日夜苦心惨澹、分析研究に努力しつつあるのは、終局の目的たる病気根絶の為である事は、言ふまでもないのである。故に、それ等は最終の目標たる病気根絶のそれ迄の研究でもあり、努力でもある訳である。
故に設し、今直ちに病気根絶の方法が発見され得たとしたら、最早、研究努力の要は無い訳である。然し乍ら、余りに意外な私の此説を、直ちに受入れるのは困難であらふ事は判ってゐる。どうしても綿密な実験以外に解りやふ筈が無いからである。 医学上最も難治とされる癌、結核、痔瘻、喘息、脳溢血、中風、癲癇、発狂、梅毒、脳膜炎等、凡ゆる疾患が、罹病後直ちに来れば、二、三回乃至十数回の治療に由って全治するので、治病率百パーセントの実績は決して過言ではないのである。現在凡ゆる治療に散々拗らされたる患者が大部分であるに係はらず、猶八十パーセンテージ以上の治病実績を挙げつつあるにみて、想像され得るであらふ。
事実に抗弁し得る力は絶対に有り得ない。繰返して私は言ふ。斯の如き完全療法が成立した以上、医術は之のみになる事は必然の理である。今日の薬剤、医療器械等、数十年の後には、博物館へ歴史の参考品として飾られるかも知れないとさへ想ふのである。
此療法あるを知らずして、それの恩恵に浴せない事程、不幸な人達はあるまい。否、それよりも最大級の不幸な人といふのは、此療法を眼にし、耳にし乍ら、信ずる得はずして、遂に貴重なる生命を失ふ事である。
(新日本医術書 昭和十一年四月十三日)