食えない代物“運動員”お偉方には信心が足りぬ
何故こんなことをするかというとズル族の根性は、麻薬を呑ましても又美味い汁を吸っても、巧くやりさえすれば、誰にも知れずに、済むと思うわけだ。更にあの運動員と称する輩は酢でも蒟蒻でも食えない代物なんだからまったく手に負えない。こんな例はまだたくさんあるが、この汚いボロを隠すには、公明選挙の看板も、とんだところで役に立つらしい。つまり肥桶の蓋になる訳だから、全くお臍が茶を沸かすといいたい。とにかく今の世の中は、人の目さえゴマ化せば、いいと思う小利口者が多いから、さの料簡にヤキを入れない限り、公明選挙も蜂の頭もない。
さてヤキを入れる急所はどこにあるかというとこの世の中には神様がチャンと御座るという事だ。このことを肚の底に叩きこんでやると、たとえ人間の目はゴマ化せても、神様の目は御見通しだからゴマ化せないという事が、ハッキリ分るので、そこで始めて文字通り公明選挙となる。こんな解りきった事さえ理解出来ないお偉方が、上に立って威張っているんだから“可哀想なのは正直末法の善人達”という次第で、昔から上の好むところ、下之に習うという言葉通り上も下もろくでもない人間共が、ウヨウヨしているこの娑婆だから、上は増収賄、買収、ペテン、汚職等々、下は強盗、殺人、窃盗、詐欺、横領、空巣、掏摸、万引など数え切れない程毎日の新聞を賑やかにしている。しかもこれが氷山の一角なんだから唖然としてしまう。これももとはといえば無神、迷信の為なんだから之に気が付かない限り、公明選挙も口先だけのお題目になる。
最後に一ついいたい事がある。アイゼンハウワー、トルーマン、マッカーサーなどの講演にしても、必ず神という言葉が入っている。ついこの前、アイゼンハウワー大統領就任式の際、大統領が聖書の上に左手を載せて誓った光景を見た時、何んともいえない感に打たれた。アメリカの繁栄と、平和維持のための、烈々たる気魄はここから出たものに違いない。とすれば少くとも、この人達は、神のあることを認めているわけだ。之に比べ日本の御歴々は、いつの演説でも神の言葉など薬にしたくもいったことがない。日本の政治家連も、神の言葉を口に出すようになれば、始めて公明選挙の実もあがるというものだ。
(東日 昭和二十八年四月八日)
(注)掲載紙は毎日新聞の前身である東京日々新聞ではない。