公明選挙について(1)

ズル族が多すぎる

まだ半年経つか経たないうちに、又々総選挙とてきは、国民もやりきれたもんじゃない。たった半年の間に、政府は、国民の信任が減ったかどうかを試してみるんだから、結局国民は試験台にされる訳だ。この原因は、何といっても、例の馬鹿野郎問題だろう。仮にも総理大臣たるものが、こんな野卑な言をはくのは怪しからんと、反対党の連中が、鬼の首でも取ったようにワイワイ騒ぎ立てた事と、自由党は自由党で、按摩の流儀じゃないが、内輪揉めは、吉田流でも始末がつかないと見え“エー面倒臭え、政権は解散だけのことさ”と脅したが、一向埒があかないので、とうとう引込みがつかず、解散総選挙となったわけだ。こんどの総選挙の動機は、馬鹿野郎の一言なんだから、この馬鹿野郎の一言が政府を解散し、国民全部を動かすことになるから、政府を未だかつてない、大した馬鹿野郎と思うのはこの私ばかりではあるまい。

さて、ここで私がいいたいことは所謂公明選挙の看板の事だ。前の選挙のとき、この看板を観たときこれは甚だ結構だ、この看板通り選挙をやって呉れるなら、国全体が少しは良くなるだろうと思ったが、看板のなかった時よりも、更に悪いので全くアキレてしまった。だから今度の選挙でも当にはならないから、まあただ見物をしているだけだ。こんなことをいうと、不思議に思うかも知れんが、つまり候補者も選挙みん、ズルイ奴が多すぎる。このズル族の根性骨を叩き直さなきゃ駄目だ。いくら新聞やラジオで面白くもない御説教をやっても効果がないし、街中大声で名前を怒鳴ったり、又チンドン屋式の大風呂敷宣伝をやってみたところで、うるさいだけの話で、何んにもなりゃしない。こんな総選挙の方法だから、今いったズル族がばっこすることになる。現ナマ御馳走攻めの魔薬で、善良な選挙民をナマコにする。

(東日 昭和二十八年四月七日)