帰宅後

茲で、帰宅後の事も一通りかかねばならないが、帰宅後某弁護士に面会、色々取調べの模様を話した処、其弁護士が言ふには『それは惜しい事をしましたね。被告には黙秘権があるんだから、記憶にない事は答弁しなくてもよかったので、黙ってゐてもそのために不利益を受けないことは、法律上定ってゐるんですよ。従って今度の貴方の場合お話のやうに、苦しむ必要はなかったので、知らない事は知らないと主張すればよかったのですよ。作り事を言った為反って法に引掛ったのだから実に残念でしたね』と言はれ、私も吃驚したが、よく考えてみるとそういう法律など知らなかった為で、今更悔んだとてどうにもならないのである。実に今日の社会生活上法律に無知なる為、思はざる災害を被る人も世間には、尠からずあるであらうから、譬へ宗教人と雖も、一通りの法律は心得ておかなければならないと、思はざるを得なかったのである。処がそれだけではない。今度の私の場合などは、頭脳破壊の一歩手前まで責められ、今以て脳神経衰弱は治らず、極度の眩暈に苦しんでおり、忘れてしまった事も多いので困ってゐる。外出も思うやうに出来ず、自動車へ長く乗る事も、出来ない有様である。私は短歌を作るのが好きだが、作歌は相当考えなくては、ならないので、之もまだ駄目である。此原稿もやっとの思ひでかき上げたが、之は考える必要がなく、最近の経験を有りの儘書くだけだから、左程困難ではなかったからである。

出所後、十数日経って、今一度取調べたいと、K検事から弁護士を通じて申し来ったので、私はまだ病気が全快しない理由で、二人の医師の診断書を添え、自宅訊問を懇願したが許されなかったので、先方のいふ通り当時在住の箱根強羅から直接三島所在の検察署へ赴くのはまだ無理なので、一旦熱海の自宅へ行き一泊したる処、其翌日検事も同情されたと見え、熱海市所在の検察庁支所迄出張されたから私も近い為出向いたのである。其時の訊問は警察及び刑務所で、度々取調べられた事項の繰返しである。検事は今迄申立てた事は、間違ひないか-と訊くので、私はもう此機会に真実の事を言ってもいいと思ったから、それを言ひかけると、K検事は非常に立腹し『今更前言を覆えされては困る。若し君がタッテそうしようとするなら、新規蒔直しに、最初から取調べるがどうだ-』と言はれたので、私は吃驚した。何しろ健康も碌々恢復してゐないのに又々厳しい記憶訊問をされたら大変だ。折角治りかけた頭脳を再壊される危険がないとは言えないと思ったので、止むなく検事の希望通り答弁して了った。それで検事の御機嫌もよく事なく済んだが、帰宅後其通り弁護士に話した処『それは惜しい事をしましたねー今日のは最後の駄目押しなんだから、今迄の間違った陳述を訂正するには、最もよい機会だったんですよ。真実一点張りで頑張れば不起訴になったかも知れない』と言はれ、私も取返しのつかない事をして了ったと悔んだのである。

元来、私は人の言う事に反対する事の出来ない性分で、いつも人の言う事を諾いて了ふといふ人並はづれた気の弱さがあり、自分自身に腹を立てる事さえ屡々あるのである。又其時弁護士は検事の様子はどうでしたかと訊くから、『私は初めは変だったが、最後は大分御機嫌が直ったやうですよ』と言うと、彼は『それはそうでせう。御注文通り起訴の理由が出来たからですよ』と言はれた。之に就て以前私は武者小路実篤氏の小説にあった警句を思ひ出した。それは『彼は神の如く弱く、神の如く強し』といふ言葉で、非常に面白いと感銘した。恰度此言葉は今の私によく当嵌まる。即ち彼といふ字を、岡田に置き換えればその通りだ。全く此時の私は神の如く弱しであったが、然し私には神の如く強しと言ふ一面もある。それは不正を憎み、悪と闘ひ勝たねば措かぬと言ふ強さである。

帰宅後、判った事であるが、本教の大幹部渋井総三郎氏が私が出所の日、入替りに勾留されたといふので驚いた。種々聞く処によれば、刑務所内から数丁離れた検察局へ取調べの為、数回通はせられた事があったが、その際人通り繁き往来を、編笠を被り、手錠を嵌められたまま連行されたといふのであるから、如何に厳重な扱ひを受けたかが解るのである。そうして同氏は六十余歳の老齢であり、而も一昨年三回目の脳溢血で倒れたので、医学上から言っても脳溢血は二回目でさえ、生命の危険があるのに、三回目となっては、万に一つも助からないと言うのが定説である。処が三回目の脳溢血が発った時、私の浄霊によって、兎も角生命は取止め、現在相当よくなってはゐるが、未だ真の全快までには、到ってゐないので、すべての任務は代行者に委せてゐる位で、頭脳を使ふのはまだ無理であり、検察官の取調べの如きは不可能である。

然るにそのやうな実状を知ってか、知らないでか前述の如く、重罪犯人扱ひをするのであるから解し難いのである。本人としても逃走の憂ひなく、抵抗の危険等も絶対あり得ない事は常識で考えても判るのみならず、氏は教団の最高幹部として多くの信徒から尊敬されてをり、而も氏の頭脳は前述の通りである。とすれば、十数日間刑務所に勾留し、毎日の如く訊問を続けたといふ事は、どう考えても無理処か、寧ろ残酷とさへ思えるのである。無論調書なども正確なるものは、出来よう筈はない。そのような半病人が、右の如き扱ひを受けたのであるから、気の毒といふより外はない。私が出所の日『渋井はまだ頭がボンヤリしてゐるねえ』と検事は言った位だから、検事も知ってゐる訳である。渋井氏出所後の話によれば、いくら訊問を受けても、全然忘れてゐる事が多いので『自分は頭がボンヤリしてゐてよく判らないから、そちらでよろしいやうに書いてくれろ』と言ったら、調官は大喝『此馬鹿野郎』と言ったそうである。

一体これでよいのであらうか。私にはサッパリ判らない。私は、之等に対して些かも批判を加えようとは思はない。唯聞いたまま、あるがままを記録としてかいたので、批判は読む人に委せるのみだ。唯私の問ひたい事は、何故に此様に常識では考えられない程な、無慈悲極まるやり方をするかといふ事である。そうして今度の事件に就て多くの人の見解が一致してる点は、大袈裟な家宅捜索をしたに拘はらず、骨折損の草疲儲けに終ったので、面目上何等か相当な罪人を出さなければならない羽目になったので、大いに焦り、取調べに無理が出来たのではないかといふのである。今一つ斯ういふ事を言ふ人もあった。それは『救世教位世間に知れ渉った宗教を槍玉にあげ、巧く成功するとしたら、大いに手柄になり、出世の糸口ともなるから一生懸命罪を掘出そうとして、必要以上の苛酷なやり方をしたんですよ。然し之はひとり救世教のみではなく、今迄にも、斯ういふ事はよくあった例ですよ』との事であったが、私は右の何れも『そんな馬鹿な事がある筈はない-』と否定して了った事もあった。

其他今回の取調べ方を仔細に検討してみる時、余りに諒解に苦しむ点が多すぎるのである。先づ第一不必要と思う程微に入り細に渉って訊問する。例えば誰それにやった金は、誰に命じて、誰の手から、何円札の束で渡したかとか、其日の何時頃どの部屋で渡したかとか、何んと言って渡したとか、其部屋には誰がゐたか居なかったかと言うやうな事迄、繰返し繰返し殆んど同一の事を毎日のやうに訊くのである。成程記憶を呼び起す為にはそういふ行り方も多少の効果はないではなからうが、普通人として其様な細かい事を二年も三年も経ってから訊かれてもハッキリ記憶してゐる人は、恐らくないであらう。又事件の性質が刑事傷害等に関するものなれば兎も角、それ程の悪質のものでない事は、検察官なら充分判る筈である。私の経験によれば、特高時代三日位で調べ終る様な事柄が、今日の調べ方では三十日掛ってもむづかしいであらう。之が為取調べ能率の低下は非常なもので、之等も改善の余地が大いにあると思うのである。

今一つ言ひたい事は、今日の検察官が宗教に就て、余りに理解のない事である。此無理解は何よりも宗教人に対し、些かの尊敬心もなく、一般人と同様に扱ふ事で、徳川時代でさえ僧侶は普通人より尊敬されてゐたそうである。私は警察官から斯ういう事を言はれた。『君は家にゐれば神様扱ひをされ、みんなが頭を下げ、大切にするか知れないが、此所へ来ちゃ駄目だよ、此処じゃ君だって-スリや泥棒と同じ人間として扱ふんだからなあ-其積りで居給え、それが公平なんだから仕方がないよ』との暴言には、私は唖然としたのである。

今一つ言ひたい事は、今日の米国の繁栄である。その原因が那辺にあるかを、充分検討すべき必要があらう。言う迄もなく同国の一般国民思想はキリスト教が根幹をなしてをり、それが凡ゆる面に表はれてゐる。先日彼のマ元帥が、朝鮮問題に対して発表された宣言中にあった『神は吾等の目的を助けるであらう』との一言は、同元帥の信仰が如何に深いかを物語ってゐる。又ト大統領初め米国の有識階級は殆んどキリスト教信者といふ事で、米国の家庭には聖書のない家は殆んど一軒もないとの事であるにみても、同国の民主々義は全くキリスト教精神の現はれでなくて何であらう。処が現在の日本はどうであらうか、今度熟々思はれた事は、検察官の無信仰振りである。それかあらぬか余りに冷酷で、慈悲や情などなさすぎるやうに思はれるのは、私ばかりではあるまい。今回の取調べの際も信仰に就て語りたいと思っても、全然興味を有ってゐないので、私は信仰談を中途でやめた事もあった。勿論検察官本来の目的は罪人を作るに非ず、罪人を無くするにある事は言う迄もないが、事実は其逆でさへあると思えるのである。

私は今回の事件で、大いに感じた事はどうしても罪人を扱ふ者は、宗教観念が根本になくては改過遷善の実は挙げ得ないと思った。そうして、吾々宗教人を遇する場合、彼等は普通人同様というよりも、寧ろそれ以下にみてゐるとしか思えない程である。察するに彼等の心情は宗教などとは無用の長物と思ってゐるらしい。中には憎悪の念さへ抱いてゐるかのやうに見える者さへある。斯ういふ事があった。私の部下の一人が、今度の事件で引っ張られ、数人の合部屋へ三十余日拘禁されたが、入獄中毎日々々苛酷な取調べを合部屋の者に話した処、前科何犯といふ強盗、傷害の囚人が驚いて言ふには『俺達でもそんなヒドイ取調べを続けられた事は未だ嘗てなかった、そういうヒドイ取調べは一日か二日だけで、後は普通だ』と言ってゐたそうである。之等によってみても、宗教人は如何に軽蔑されてゐるかが判るのである。然し当局者のみを咎めるのは当らないかも知れない。何となれば宗教を看板にして随分詐偽やインチキを行ふ輩も、世間尠なからずあるからである。従って今回の事件に鑑み、吾々と雖も大いに世の信頼を贏ち得べく自省しなければならない事を痛感したのは勿論である。此意味に於て、神は吾等の覚醒を促すべく、今回の如き尊き試練を与え給ふたとも解されるのである。

(法難手記 昭和二十五年十月三十日)