上申書(井上福夫)

井上福夫
私事、此度起訴致されました、二件に関し、甚しい虚偽の供述を致し、御手数を掛けましたのは、洵に申訳なく、茲に其事実を申上げ御諒解を御願致し度、上申する次第であります。

逮捕理由には、「昭和二十三年十二月、岡田茂吉名儀の財産参百万円を隠匿の目的を以て静岡銀行網代支店、山田仁太郎に金一万円を贈与せる嫌疑」といふ意味の事が、記載されてありました。自分としては其様な覚えはないのでありますが、逮捕状が出る以上は、確実なる根拠の存するものと信じ、且つ何かの納税申告記載を山田氏に依頼した際、一万円程度のお礼をした朧気な記憶がありますので、右罪状は一応承認致したのであります。

然るに、其後の取調べに於て、一万円のみでなく、もっと渡してゐると責められ、お得意先である当方から、贈賄する筈なしと常に否定し続けたのでありますが、調査官は「参百万円に対しその一割に相当する参拾万円位お礼するのは、常識からいって当然である」とつよく断定せられますので、調書に於て「或は参拾万円贈ったかも知れぬ」と述べざるを得ませんでした。

逮捕当時、恰かも持病の座骨神経痛が発病し、而も初めて経験する勾留の苦しみと、生活の激変から、頭脳朦朧、背部疼痛、不眠、食欲皆無に日夜懊悩し、全然知らぬ事柄に就ての、荐りなる記憶訊問に対する応答は、実に容易ならぬ苦痛を覚え、仮にそれが警察の取調べの当然な行り方であるとしても、其時の私には、地獄の責苦そのものでありました。

私は、先づ事件の真相を知る為に、調査官から相手方の山田氏の、陳述事項等を引出しそれによって窺知し、推理しつつ答弁する外なかったので、調査官に記憶喪失の故を以て私の供述の援助を要請した程でありました。処が、数日後の取調べの際、調査官の隙を窺ひ、机上のメモ(赤罫の便箋用紙にペンにて記載、係官の手許にあったもの)を盗見した処
23.10月岡田茂吉100.000.00
23.12月中島武彦200.000.00 80.000.00 (中島氏の山田氏へ贈った金額らしいもの若干)
の事項を見、これこそ正に山田氏の陳述なりと信じ、初めて調査官の言はるる参拾万円の根拠を知り、それから十月十万円、十二月二十万円贈与の供述をし、それに対する経緯や事情を推理、案出しつつ答弁し、数々の調書が出来たのでありますが、私が拾万、弐拾万の申立を固持してゐる中、正に自分が贈与したものと錯覚し、終ひには、それを信ずるやうにさえなった位であります。私が三十万円を認めたのは、第一に神に等しき岡田大先生に、嫌疑の掛ることを深憂したのと、自白さえすれは、早く出られるとの係官の誘惑の言を信じ山田氏の供述に合ひさえすれば、早く此無実の責苦から解放される。唯一日も早く出牢して、健康を恢復し、社会的重要な義務を果したい一念からに、外ありませんでした。

山田氏贈賄問題の調書作製が終って、疲労困憊の裡に、出獄を待ってゐる時、今度は救世教の財政等全般的問題に関し、数日間に渉り、約七人の刑事諸氏に取巻かれ、自白強要の苛烈な追及があり「何か供述しなければ何時迄も釈放されぬ」「君が言はなければ、岡田大先生に来て貰ふ」「邪教メシヤ教を潰してやる」等々、凡ゆる脅迫的言辞と、拷問に等しい高圧的怒号、卑劣な罵声を以て、責められた時は、衰弱による眩暈、恐怖に因る心臓の縮感、動悸を覚え、名状すべからざる心身の苦悩に、生命の脅威を感じましたので、万一を予想して、医師の診断書をとると共に参千万円隠匿等、架空の供述をして漸くその危機を脱したのであります。

此時以来、私の健康は頓(トミ)に悪化し、頭脳組織は破壊された如く錯乱し、絶望と恐怖の裡に次々と勾留期間は延長されました。検事殿の威嚇的取調べを受けた際は、宛かも失神せるが如く、ただ夢中で過しました。要するに、山田氏贈賄問題に於ける私の陳述は、一部の記憶の外は、悉く知らざる事に関する私の推理と想像とメモの盗見によって、作為脚色した小説以外の、何物でもないのでありまして之は調書全部の内容が、次々に変化せる其支離滅裂さによっても、首肯され得る事であります。

斯くして、勾留期間廿数日を経た頃は、身内の深所に衰弱の進行せると、体質の変化を感じ、六月上旬、生命に賭けてもと思ひつめた、大先生の勾留を知って、既に万事休すの絶望に萎え、世紀の偉大なる文化の貢献者を罪人として遇する無暴を思ふて、尽きざる激怒に慄え、心身喪失して生ける屍の如くなり「右三十万は大先生と相談の上、山田に贈賄したもの」などという柳瀬検事殿の独断を否定する気力さえ失っており、又同検事付書記が、「熱海税務署員へ、饗応贈賄の為、山田氏に参拾万円托したと、大先生が言っておられるぞ、調書をかき直す」と曰はれた事に対しても、「全然存知せず」と否定陳述する勇気さえ失って「大先生がそのように仰有るなら自分もそのように相談し、金を出しました」と供述する程の無気力に堕して、了ったのであります。

四十七日の勾留によって如何に心身に大いなる打撃を与えられ、寿命を短縮させられたかは、釈放後数回心臓衰弱の為、生死の境を彷徨し、別紙、診断書記載の如き、数々の病気発生の事実によって、御想像願ひたいのであります。尚、廿三年四月頃、岡田大先生の所得税五百万円課税されんとした時、山田氏を介して熱海税務署員に贈賄した供述も、事実無根であって、之は前年財産税申告の際のそれと、混同錯覚したものであります。従って調書で五万或は拾万、弐拾万等、次々陳述を変えてゐるのは、何れも私の記憶ではなく、誘導訊問に応ずる、単なる想像若しくは推定に過ぎないのであります。

以上の如く、起訴の二件共、私には関知せぬ事柄で、頭脳の恢復しつつある今日、想起してみて分明に事実として認め得るのは、ただ一つ、廿二年三、四月頃、財産税申告の際記載御礼として山田氏に壱万円(確実)か二万円渡した事のみであります。

私が敢て、虚偽の陳述をし、それを固持した理由を列挙すれば、

一、死よりも尚苦しく、悲しむべきは、万人がその大徳を讃ふるの外、何の酬ゆ術なき、大先生へ強いて嫌疑をかけんとする、取調べの恐るべきは、悪虐的意 図との戦ひであった。

一、刑事調査機構に全然無知であって、罪状さえ認めれば、直ちに解決するものと思ってゐました

一、一日も早く、病気による恐怖からの自由を得たかった事。

一、相手方山田氏の供述に合致させる事が、調査官の事務の進捗を促し、速かに釈放される唯一の道と信じた事。

一、平和国家建設の為、粉骨砕身せる吾々を敢て罪人として葬るべく、多くの貴重な日数を潰し多大の国費と人員を動員されてゐる事は、只々心外で今日の重大時局に於て、堪え難き苦痛であり、速かなる事件解決の為には、不利な陳述も意としなかった。

一、新しい罪状の供述を極めて歓迎されるので、何か自分にそのような材料があればよいと思った事さへありました。

一、罪人といふ前提の下に査べられる為、罪状を挙げねば措かぬといふ、執拗さが見受けられ、自らに覚えのない事を否定するとすれば、調査官が予め想定せる嫌疑の如く、陳述を合はせるか、不利な供述をしなければ、凡ゆる誘導手段を以て、執拗に激しく追及されるので、絶体絶命的にそうせざるを得ず、且つ同一の徒労を繰返す時間と手数と、極度の疲労の不快から逃れたかったのであります。

私も神に仕ふる身として斯かる嫌疑を受ける事さえ、信仰の至らぬ為で、日々神に詫び、信徒に謝してゐたのですから、虚偽の申立てにより、当然の刑罰を免るるが如き意志は毛頭ありませんが、さりとて事実無根の供述によって、不当の罰を受くる事も、厳正なる法の本質の許さぬ所と考えます。

以上は、些かの虚構紛飾なき、真相そのままであります故、何卒、胸中を神鏡に照すが如き御明察を以て、至公至正の御裁断を仰ぎ度、上申し奉る次第で御座ゐます。
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 |診断書 |
 | 井上福夫 |
 | 心臓衰弱、肝臓炎、脳神経衰弱症、座骨神経痛|
 | 右の疾病により、向ふ一ケ月間、絶対安静を要す。|
 |昭和廿五年七月一日 |
 |医学博士 岡田道一 |
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 次に、金久平の上申書も掲げてみよう。

(法難手記 昭和二十五年十月三十日)