大自然、即ち吾々が呼吸し棲息してゐる処の此世界の構成に就て、私の研究によれば、先づ大別して三つの原素、即ち曩に述べた如く火水土である。そうして現在科学及び人間の五感によって知り得たものとしては、電磁気、空気、物質元素等である。然るに私がいはんとする所は、科学的にも五感によっても未だ知り得ざる処の気体即ち霊気である。然し乍ら霊又は霊気といふ文字は今迄とても相当使用されて来たが、その多くは宗教又は心霊科学の面に限られてゐた。それが為に霊といふ言葉は兎もすれば迷信視せられ寧ろ霊を否定する事を以て、識者の資格とさへ見らるる如き傾向があった。然るに何ぞ知らん。此霊なるものの本質こそ、驚くべき力の根原であって、森羅万象凡ゆる物の生成活動変化は之に由るのであって、之を私は不可視力とも言ふのである。
右の如くであるから私は有知の世界を現界といひ、未知の世界を霊界として説き進めてみよう。
抑々万有の原則として現界に於ける凡ゆる事象は既に霊界に発生し運動を起してゐる。それは恰度人間が手足を動かす場合既に意志が先に動いてゐると同様の理である。然るに現界の事象のみによって解決を与へようとしたのが現在迄の学問の理念であった。文化が進歩せりといひ乍ら人類の福祉がそれに伴はないといふのも右の理に由るのである。故に現界に於ける事象を解決せんとするには、先づ霊界のそれを解決しなければならない。此意味に於て病患治療と雖も霊界よりの解決即ち霊を以て霊の治療を為す事こそ、真の治療法でなければならないのである。
従而人体と雖も霊体は霊界に属し現体は現界に属してゐるのは勿論である。そうして病気とは既記の如く集結せる毒素の浄化即ち毒結の解体作用であるが、その過程を霊体に当嵌める時、毒素溜結は霊体局部の曇りであり、毒結の溶解とは曇りの消滅である。然るに既存の如何なる療法と雖も体の解決のみを企図したのであるから、それは逆法で病気の真の解決ではなかったのである。
霊体に於ける曇の解消は、病気治癒の原則であるとしたら、その曇りを解消すべき力は何か、それが即ち人体より放射する一種の神秘光線である。此理を真に把握せんとするには、実地治療を数年間継続する事によって徹底し得らるるのである。従而茲では概念を得る以上には出で難いと思ふから、読者はそのつもりで読まれたいのである。
抑々人間の霊体とは如何なるものであらうか。此説明に当って知らなくてはならない事は死の問題である。即ち現体が老衰又は病気、負傷、出血等によって使用不能に到った時、霊と体とは分離する、それが死である。故に死とは現体から霊体が離脱する事である。そうして霊体は霊界に帰属し或時期を経て再生し、現体は腐朽し土に還元する。之は人の知る処である。これによってみても霊体なるものは無限の生命体であり、現体なるものは有限、第二義的の存在である事を知るのである。従而人間を取扱ふ上に於ては霊体こそは真実の対象である事である。
近代科学に於て凡ゆる生物否鉱物、植物等にも一種の放射能を有してゐる事は漸く知られて来た。私の研究によれば人体からの放射能は最高級のものであって、昔人の言った所謂「人は万物の霊長なり」の如くである。そうして霊は高級である程、その原素は稀薄の度を増し、稀薄の度を増す程機械的には把握し得られないといふ唯物観とは反対の理になる。故に反って低級霊である鉱物に於けるラヂュウム、植物に於ける燐等の把握の方が容易である。そうして霊は稀薄であればある程、その偉力は増大するといふ。此原則の認識こそ重要である。然し乍ら人体放射能は最も強力ではあるが、人によりその差別の甚しい事も想像以上であり、放射能の強力である程治病力も増大する。
故に私は此放射能を強力化する為身体の一局部に集注させて放射し、曇りの解消に成功したと共に、各人保有の放射能力を一層強化すべき、特殊の技能発揮にも成功したのである。此両者の方法を応用し、原理を知り、経験を積む事によって、驚くべき治病能力を発現し得らるるのである。
(天国の福音 昭和二十二年二月五日)