薬毒は戦争より恐ろしい

薬毒の恐ろしさは常に曰っているが、これを信ずる事は中々困難だとみえて、信者の中にも薬毒による病気の苦痛が分らないで、霊的と思う人がよくあるのは困ったものである。そうして邪霊が憑るのも薬毒の溜結している個所に限るので、薬毒を解消すれば悪霊も憑らない訳である。左記の御蔭話は薬毒の如何に恐るべきかが実によく表われているから大いに参考になると思う。ところがこの事を知らない一般人は、高い金を払って毒をのみ病原を作っているのであるから、如何に恐ろしい無知かが分るであろう。いつかも曰った通り吾々の方へ来る患者は服薬自殺未遂者といって笑うのである。

洗面器も腐る薬毒の恐ろしさ
元看護婦の手記

島根県 O・S

医薬万能より浄霊万能へ

明主様御守護のほど謹んで御礼申し上げます。
顧みますれば一年前の今日この頃は主人が薬毒の再浄化を頂きまして、来る日も来る日も胃痛と吐瀉物の連続にて、只管に明主様をお念じ続けておりました。丁度一ヵ年を経ました今日この頃の健康体を眺めます時、これがあの時の主人か……とつくづく眺めやる思いが致します。自分でも鏡台に向思わず両頬を撫でて取り戻させて頂いた健康に、只々感涙に咽ぶこの頃でございます。近親者はもとより、近所の人達からも驚異の眼をもって眺められ、本当にあの大病人が薬一服のまずにこんなになられたものと逢う人毎に、よくもまあまあの連発攻めにあっている現在でございます。元の職場に帰りまして早や半ヵ年、一日も職場を休むことなく、時々軽い御浄化は頂きますものの、本当に恙なく明るい毎日を過させて頂いております。私は元派出看護婦をして居りました関係上、初めからこのお道の御教え通りについて行ける自信はありませんでしたが、主人がこの再浄化を頂きます二、三年前(主人は昭和二四年入信し胃潰瘍を救われています)によく子供が御浄化を頂き、その都度御浄霊でよくして頂いている関係上、その頃より御神書は常に拝読させて頂き、医薬万能のこの頑固な元看護婦にも薬毒の恐ろしさを多少なりとも悟らせて頂いて居りましたので、主人のこの度の御浄化にも割合に平静に諸先生の御指導なり、主人の不動の信念なりについて行けたのでございます。一日千秋という言葉がございますが、生命を危険にさらして苦痛に喘ぐ一〇カ月(三〇〇日)を希望と感謝の中にあの大浄化の嶮しい大峠を越えさせて頂きましたのは、全くひしひしと胸に、全身に、明主様の大愛の御心と御力を御恵み頂いたらばこそでございました。頑迷なる医薬万能者は御浄霊万能者になることによって、主人の生命と一家の幸福を頂く事が出来たのでございます。以下薬毒の浄化を思い出すままに記さして戴きます。

薬毒には鉄もボロボロ

御浄化の初めは、のたうち廻り果ては息もたえだえになってしまい、うち続く吐瀉物にいよいよ瘠せて少し離れていると私を呼ぶことさえ出来ぬ位衰弱いたしました。これが元の私でしたらなんで捨ておきましょうや、すぐ目の色変えて医者に走りましたことでしょう。吐瀉物は初め一〇回位は洗面器に殆んど一杯位宛、シュッシュッとまるでサイダーの如くブツブツ泡立ち、丁度重曹をそのまま洗面器にほおり込んだ様で流石の私も只唖然たる許りでありましたが、これで以前服用した重曹の浄化であることは一点疑う事は出来ません。この時の吐瀉物の為使用中の鉄製の洗面器は急に、ボロボロに穴があき使えなくなりました。

ゲンノショウコを六カ月吐く

重曹の浄化に引続きコーヒー状のものを毎日吐き続けまし た。それは以前半年間毎日のんだ「ゲンノショウコ」でありました。然もそれを吐く時の身を削られる様な苦しさ、これが半年間続きました。アア何と薬毒の恐ろしさよ……今思い出しても身の毛がよだつ様であります。半年間服用したとはいえまさか半年間吐くとは思えず、後では苦しまぎれに毎日 の様に、先生にまだ吐かねばならないでしょうか、まだ薬毒があるでしょうかとお問いしました。その都度先生は「そうあせらんと気長に吐きなさい。吐いた丈は薬毒が減って行くんだし又あるだけのもは吐かねばならないんだ。それにその薬は私がのましたんじゃあない、あなたがのんだものでしょう……」とお笑いになり、尚色々と力をつけて下さいました。今考えますとその量でも計っておけば参考になるものをと惜しいことをしたと思いますが、その時は只御浄霊と心配と家事に一生懸命でありました。吐き出したものは千差万別で、或る時は癌腫の溶けたものではなかろうかと思われるヌラを吐き、その中へイチゴの種の様なものが無数にあるものを何日も吐いたかと思うと、又肉腫の溶けた様なものや、又三日も前に食べた食物の残渣やでありました。菜っ葉の繊維は必ず吐きました。しかも胃からばかりでなく鼻からも又唾液の中にも薬毒が排泄したのには驚きました。

アスピリンの浄化

或る時鼻汁を乾かして見ますとアスピリン状に白い粉々に なり、然も結晶状に光っていますのでなめて見ますと酢い様な味が「アスピリン」と少しも変らぬ様に思えました。又睡液はとても粘って粘って始末のつかぬ様なものが執拗に出ました。尿は白い粕の様なものが何日間も続いて出たこともありました。少し快方に向ってからでしたが吐瀉物に血の固りの様なものや血の糸の様なものも混っていました。医者にそんなものを見せたらどう言うでしょう。そして昔の私でしたらどうしていたでしょう。一寸黒便が出てもすぐ出血しているのだから絶対安静にしていなくてはとか、絶食とか、流動食とか、それはそれはうるさいことでありますのに、お道の有難さ、これとは反対にこんな血の固まりが出る度に又吐く度に主人の胃の中が清浄に、そして健康になっていくと思えば洗面器を替える手も軽く只感謝で一杯であります。血であろうと何であろうと決して必要なものは出ず、いらないもののみ出るとの御教えを固く胸に抱きしめて介抱させて頂きました。便にも白いノロノロしたものが無数に付着して排泄いたしました。医学上では粘液便と言って腸の病気に外ならないのであります。病気を悪化作用と考える時、本当に身も世もあらぬ思いがするに反し、浄化作用と思えばかくも安心していられるとは、御教えの有難さに謝する言葉もありません。この長い御浄化中には医者にかかっていれば危篤の電報を何べんか打っていることでありましょうし、それのみか当然生命も無くなっていたでありましょう。

相当重態の日が続きましたけれども、明主様にお縋りしている身には、そんなに重態と考えたり生死の心配を致しませんでしたけれど、他の人々にはとても重態に見えましたものか、兄弟中で万一の時の相談もしてあったそうであります。今にして思えばみんな尊い思い出の一つ一つでありますけれども、その時は、誰も一生懸命でありまして信仰に入らして貰ったものと、そうでないものとの対立は真にいやなものでありました。それをこうして無事に乗り越えさせて頂きました有難さ、これ偏に明主様の御神徳に外ならず、又たゆまざる諸先生方のお導きに対し心から御礼申し上げる次第であります。この上は夫婦が力を合わせ只管御神業に励まさして頂き、明主様の御恩の千万分の一なりともお返しさせて頂く考えでございます。

明主様誠に有難うございました。謹んで御礼申し上げさせて頂きます。何卒今後とも御守護賜わります様伏して御願い申し上げます。

(昭和二八年二月二七日)

(世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)