二十一世紀

私の常に唱える地上天国とは如何なる世界であらうかといふ事は、よく聞かれるのであるが、之に就て私は一九二六年神示によって知り得た一世紀後の世界の状態であるが、今迄幾度書かうと思ったが、どうも時期尚早のような気がして今日に至ったのである。処が最近に至って書かなければならない時期到来を荐りに感ずるまま、茲にペンを執る事になったのである。然らば此神示の未来記とは果して実現さるべきや否や、之は読者の想像に任せるが、私としては必ず実現すべき事を確信するのである。

そうして茲で断っておきたい事は、読者が百年間眠ってゐた処、漸く眼が醒め、それと同時にあまりに世界が変った事に驚いたのである、といふ事を仮定して書いたものであるから、読者は其積りで読まれたい事である。

私は今朝六時に眼がさめた。それは枕の中から微かな音楽が聞えるかと思ふと、段々大きくなって寝る事が出来ないので起きたのだ。「ナーンだ、枕の中に眼ざまし時計が仕込んであった」のだった。それから顔を洗ひ、和洋折衷の朝飯を食った。味噌汁のスープ、米で出来たパン、魚と肉が少々、野菜、コーヒー、緑茶等で済ました。

先づ新聞をみた。「ハハー、之は面白い」。一面にはデカデカと世界大統領の選挙戦の記事が出てゐた。投票日は数日後に迫ってゐる。各国の大統領候補者拾数人の名前が写真入りで出てゐる。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、南米、印度支那、日本、ソ連(此時代ソ連の国家名は変ってゐた)。やはりアメリカの候補者が第一位を占めるらしい、とかいてある。三面を見ると洵に意外だ。犯罪記事などは殆んど見当らない。重なる記事としてはスポーツ、旅行案内、音楽、美術、演劇、映画其他の芸能等、娯楽方面は遺憾なく出てゐる。そうして頗る気の利いた編輯ぶりで文章も諄々しい所はない。簡潔で、要を得ており、昔の新聞のやうな諄々しい冗漫な記事がないから短時間で読み終り、読者を疲れさせないよう意を払ってゐる。又昔と大いに異ふ事は写真の多い事で、記事と写真と半々位である。次に広告欄はとみれば、之も余程異ってゐる。売薬の広告は全然ない。化粧品は極僅かで、多いのは書籍、衣食住に関するもの、機械類、新規発明品等々であるが、之も記事は極僅かで殆んど写真である。斯んな訳で、私は十五分間位で全部読了した。私は快適に新聞を読み終った。それもその筈だ。窓が非常に大きく明るい事に気がついた。何等の防備設備もないからだ。後に聞いた話だが、盗賊の侵入などは昔語りに過ぎないとの話で、成程素敵な世界だと思った。

私は外出すべく自動車へ乗った。私は美々しく着飾って外出をしたが、町の美しさには驚いた。まるで花園のやうで、面白い事には自動車以外、他の車の類は一台も見えない。それもその筈で、汽車も電車も地下を走ってゐて、車道は自動車だけである。而もその自動車も音が少しもしない。之は不思議と思ってよく見ると、車道は恰度キルクで舗装したやうである。よく見るとゴムの中へオガ屑を混ぜたやうな物質で、弾力があり、頗る柔軟性であるから、その上をゴムのタイヤで走り、自動車の窓枠や、一切も無音装置となってをるから、騒音などはありやう訳がない。而も雨が降れば滲み込んで了ふから水溜りが出来ない。そうして、自動車を走らす動力は指の頭位の鉱石で、何十哩も走らせる事が出来るから素晴らしい。之はウラニュウム、プルトニュウムの如き鉱石で、原子破壊の原理を応用したものである。私は先づ自動車に乗った。運転手などは要らない。乗客が片手で一寸棒を握っただけで快く走らせ得るからである。尤も贅沢な人は運転手に操縦させる事は勿論である。

先づ町を見ると何と美しい事よ。驚いた事は果樹が人道と車道の間に、昔の銀杏やプラタナスの如うに並んでゐる。無花果(イチジク)、柿、枇杷等で、その間に蜜柑、桃、梨等の低い樹が見える。車道の往き来を分けて一条の土坡(ドテ)があるのは昔の通りであるが、此土坡に凡ゆる種類の花の潅木が並び、その縁は凡ゆる草花で彩り、徐行する私の鼻には時々何の花だか知れないよい香りがする。最も美しいと思ったのは、或町の右の土坡を一哩位の間、紫陽花のみが咲き乱れてゐた事である。次に美しかったのはダリヤの花盛りの続いた道であった。それから両側の人道の上は、葡萄の実がたわわに下って居る所もあり、藤棚も見えたが、それは既に花が咲き終って葉ばかりになってゐた。町の所々には人道の端に小型の喫茶店が椅子、テーブル等を並べて花を見ながら簡単な喫物(ノミモノ)で、道往く人を娯ませるなどは気が利いてゐる。又小公園が何処にもあって、子供等は嬉々として遊んでゐる。一の町に二、三個所は必ずあるから子供の天国でもある。又中央花壇の所々に、人造石で造った池があって、水蓮が浮んでゐるのが面白い。以上の如うな凡ゆる植物に対しては、一日数回時間を決めて水まきをするが、それは水道が自由自在に花壇の縁に設備してあり、勿論セメントで出来た角型の帯で無数の穴があいており、ネヂを捻ればその穴から噴水のやうに花壇を濡らすのである。

もう一つ私の驚いた事は、晴天も雨天も自由に出来る事になってをり、何曜日の午前或は午後に雨を降らせ、何日まで晴天を続けるという事である。風も何日目に恰度よいそよ風の如きを吹かせる事になってゐるが、時々強風を吹かせる事もある。之は樹木の根を張らせる為でやむを得ないのである。昔から五風十雨の不順序(クルイ)なくといふ事は、今の時代の事を言ったものであろう。之等は勿論科学の進歩によるものである。町を走ってゐる中に面白いものを見た。それは大きなガラス箱のやうな小住宅位の大きさの硝子張りのものが所々にあって、その中には松、杉、桧、落葉松(カラマツ)等の針葉樹から常盤木の類が多く見える。摂氏十度位の温度が保たれてゐる。勿論完備せる冷房装置で、夏の炎天下を往来するものに対する人工的オアシスである。以上述べたような諸設備は各町会の役員中から、植物知識の豊富な者が選任され、その主任の指示の下に各青年が分担活動してゐるである。

次は各商店が竝立(ヘイリツ)してゐる町で、徐行しながらよく見たが、その整然とした建築様式や美と品位に富めるには全く快いものがあった。毒々しいやうな色彩はなく、マッチ箱のやうな無趣味な家屋は見当らない。明るい窓、軟い照明等は勿論、絵画、彫刻の美は極度に応用され、少し大きな店舗となると宛ら美術館のやうな感じである。そうこうするうち夕暮に近づいたやうであるが、あまり夜のやうな感じがしない。それもその筈である。街路の上一定の間隔を置いて頗る高いアーク燈が輝いてゐる。その光線たるや、電燈とは異い、電燈よりもずっと白色で驚くべき明るさである。全く昼間太陽の光に紛ふばかりで、凡ゆる色彩そのままが眼に映る。読者諸君、以上説いた所の町の光景を想像されたい事である。百花爛漫と咲き乱れ、馥郁たる芳香町に漲り、諸々の果実は裕かに実り、都市と想えぬ静かさで何と快い散歩であらう。商店のウヰンドを覗けば宛ら美術展覧会をみるやうで、相当大きな店舗でも店員は一人か二人位で用は足りてゐる。何となれば商品には定価を附してあり、何人も手にとって見られ、客は定価と説明書を見るだけで気に入れば、店の入口にある金銭収納箱に正札と金銭を入れ、包装は自動機械があって、品物の大中小により自動的に包装され紐で下げるやうになるのであるから、実に買物がし易いのである。

私は空腹を感じたので、とあるレストランへ入った。見廻すと店員は一人もゐない。入口の一方にうまそうな料理が並んでゐて、何れもABCの符号がついてゐる。空いてゐる椅子にかけてテーブルを見ると番号が附いてゐる。そこでテーブルの隅に着いてゐるボタンを押した。勿論ボタンのABCの符号とテーブルの番号を押すと、間髪を容れず料理が眼の前に出て来た。成程見るとテーブルの真中に皿位の穴が開いてをり、そこへ自動的に下から上って来るので、注文したものは次々上ってくる。何等の説明も要せず、迅速で気持のいゝ事夥しい。最も此方法は廿世紀時代にもあった事は聞いてゐたが、これ程に完備してゐるとは思えない。勿論酒も飲物も同様穴から出て来るが、酒は一定の限度以上は出て来ない。みるとボタンが今一つある。会計とかいてある「ハハァー、これを押すんだな」と押してみると、忽ち勘定書が出て来た。その通り金を載せ引込んで了ふと、すぐに受取になって出て来た。何と簡単ではないか。

私は満腹したし時間も早かったので、何処か劇場へ入りたいと思った。処が劇場の多い事驚くべきものがある。如何なる町と雖も至る処に劇場があり、驚いた事には観覧料のあまりに安い事である。到底収支償ふとは思えないので、私は劇場の支配人に聞いてみた。すると支配人の答は斯うである。凡ゆる劇場は富豪の社会事業として経営してゐるので、入場料などは必要がない位だそうである。処がその豪壮なる建築設備等は善美を尽し、観客も椅子の数以上は余分には入れないから、実に快く見物が出来る。私の入った時は映画興業であったので非常に面白かった。その時の映画は日米共同の映画会社の製作で、米国映画と日本映画の二本立てゞあった。米画は英国の清教徒が米国へ渡来し開拓をし、独立戦争までの歴史画であった。日本映画は或一個の宗教科学者ともいふべき人物が、医学を革命し、凡ゆる病気を解決するといふ苦闘の生涯を描いたもので、どちらも面白いと思ってみた。又余興としてテレビジョンがあったが、之はどこかの劇場での劇であらう。

私は草疲れたので帰宅して寝に就たが、私は今日観たゞけの事を考えてみたが、全く人類の夢が実現したに違ひない。人類が長い間理想としたユートピアはこれであると、つくづく感激に堪えなかった。私の探究心は制え切れない程に燃え上った。それは新時代のあらゆる文化を知らなくてはならない。先ず徐ろに研究してみやうと決心した。読者も私と同様、此新しい世界の凡ゆる事を知識されたい事と思ふから、私の知り得た事を逐次報告する事にしよう。

其翌日であった。近所に居る友人の話に、面白い所があるから是非来いと勧められたので、兎も角友人と共に行く事にした。とある町の中程に壮麗目を愕かすような建物があって、そこへ私は案内された。成程劇場もあり、レストランもあり、遊戯場も完備してゐて、友人に質ねた処、之は町の公会堂であって、どこの町にも一個所や二個所は必ずあるといふ事だ。友人は言葉をついで曰ふには、「此公会堂は一週に一回会員が集り、語り合ふのである。勿論町の発展策や、衛生、娯楽等々町民の福祉を増進さるべき議案を審議するのである」私は先づ食堂へ案内されて馳走になったが、料理の美味、芳醇な酒等、百年前とは較べものにはならぬ程の最高の食事であった。友人に聞いてみると、一週一回幸福デーと称え会員が集り、口に美食、耳に音楽、眼に演劇舞踊等を見、歓楽に耽るのである。此際舞踊、音楽等は各家の令嬢が平常磨いた技芸を誇りとして出演するのであって、職業的芸能人も素人芸能人も共に出演するのである。之等の費用は全部町の富豪が社会公共の為として、全費用を寄附するのである。

そうして此新世界に於ては、旅行の盛んなる事は驚くべきで、各地の国立公園、高山地帯、風致のよい海岸島嶼(トウショ)等には、各国人の遊覧者夥しく、従而、交通機関の発達は如何なる山間僻地と雖も、電車、ケーブル等の設備は勿論、鉄道汽船等は素晴らしい豪華版であるに拘らず、その賃金の安い事之亦驚くべく無料同様の底賃金である。それもその筈で、之等も富豪の社会奉仕によるものである。之等数々の説明を休憩時間中に聞き、今更乍ら感激した事はいふまでもない。

序文(二十一世紀 昭和二十三年)
二十一世紀(二十一世紀 昭和二十三年)