胃病がつくられるまで

今日、胃病といふ病気になるのは、殆んど全部が薬の中毒といっていい位である。消化不良とか胸焼、胃酸過多、アトニー、胃痛などいろいろありますが、原因は一つで、最初は食物がもたれたり、不消化であったり、胃が痛んだり、胸が焼けたりする。然らば、それ等の原因は何かといふと、之は全く食物の分量を決めたり、食事の時間を決める為であります。何となれば、分量や時間を決めた以上、前の食物が消化されない中に食ふ為に、前の分が醗酵し腐敗し、前述の如き胃の病的症状を起すのであります。凡ゆる食物は消化の早い物と遅い物とがある。又、人間の動作に於ても、運動をする時としない時とがあるから、三時間で消化して了ふ事もあるし、五時間経っても消化しない事もある。従而、次に食事の時に量及び時間(勤務者は時間は不可能ゆえに量にて調節するとよい)にて調節するのが本当である。世間往々量と時間を規則正しくせよといふ事は、如何に間違ってゐるか判るであらふ。でありますから、腹が減れば食ひ、減らなければ食はない主義にすれば、絶対に胃病は起らないのであります。私は此方法によって永年の胃腸病が治り、今日は頗る健全であります。此やうな病的症状が起った場合、其原因に気がつき、それを改めれば容易に治るのであるが、誰しも其場合薬を服む。それが抑々胃病の始まりであります。

病気の原因が殆んど薬毒である事は、今迄説いた通りであるが、特に胃に関した病気程それが顕著であって、悉く薬で作られるといってもいいのである。それを今詳しくかいてみるが、誰しも偶々食べすぎとか、食靠(モタ)れとか、胸焼がする事がよくある。すると放っておけば治るものを、何でも薬さへ服めばいいと思ひ、早速胃の薬を服んで了ふ。然し一時はよくなるから、それで済んだと思ってゐると、何ぞ知らん此一服の薬が、将来命取りの因となる事さへあるのだから問題である。つまり一服の薬が病の種を蒔く訳である。といふのは暫く経つと、再び胃の具合が必ず悪くなるもので、そこで又薬を服むといふ具合に、いつしかそれが癖になって了ふ。此点麻薬中毒と同様であって、終ひには薬がなくてはおられない事になるが、斯うなるともう駄目だ。立派な胃薬中毒患者である。

薬を服むと確かに一時は快くなるが、原因を改めない限り再び起きるので、其度毎に薬で抑へる。其為終に慢性になるのであります。それで胃痛や胸焼や種々の苦痛は胃の浄化作用であるから、放任しておけば必ず治る。それを薬剤を服むと浄化作用が一時停止される。それで一時苦痛がなくなるから、それを「薬で治る」と信じるのでありますが、何ぞ知らん、事実は「治癒を停止」させたに過ぎないのであります。実際、薬で治癒されたなら、最早病気はおこらないはづであるのに、再び起るといふのは「治らない」からであります。言換へれば、胃自身としては治らふとして痛むのを、治ってはいけないといふやうに薬を服むといふ理屈になるのであります。

そうして、胃がわるいと消化薬を服む、そして消化の可い物を食べるんですが、之が亦大変な誤りで、態々胃を弱くするんであります。何となれば、胃は胃自身の活動によって、物を消化する様に出来てゐる。それによって胃は健全を保ってゐるのであります。処が消化薬を服むと、胃は活動しなくとも済む。薬が消化して呉れるからで、その為胃は段々弱体化する。有閑者のやうになる。そこへ消化のいい物を食ふから、猶拍車をかける訳で、益々胃は退化する。退化するから薬を倍々服むといふ循環作用で終に慢性になるのであります。そうなると、偶々固い物を食ったりなどすると胃はとても骨が折れる。もう「消化する力」を失ってゐるので、そのまま腸へ送る、腸も胃の影響を受けて弱体化してゐるから、下痢し易くなるのであります。中には反対に便秘する人があります。之は食物が少量過ぎる為と、胃薬で柔軟化させ過ぎる為であります。ですから、下痢と便秘と交互にする人がありますが、全く前述の理に由るのであります。自然に任せておけば、順調に排除されるのを、薬剤によって不正にさせ、苦しんでる人が、随分世間には多いやうであります。

そこで医者に診て貰ふと先づ胃弱、消化不良、胃カタル、胃酸過多症などと診断され、斯ういふものを食ってはいけないとか、此薬を服まなければいけない。斯ういふ養生をしなさいなどと言はれるので、其通り実行するが一時は一寸よいようでも、決して治りはしないばかりか、寧ろ悪化の傾向さへ辿る事になる。痛み、嘔気、胸焼、食欲減退など種々の症状が次々発るので、仕方がないから薬を服む、と一時よくなるので、薬で治るものと思ひ込み、益々薬が離せなくなる。処が初め効いた薬が段々効かなくなるもので、それからそれへと種々な薬を変へるが、変へた時だけは一寸良いので、それに頼ってゐると又駄目になって了ふといふ訳で、言はば胃薬中毒患者になるのである。そんな事をしてゐる内、遂々口から血を吐くやうになる。サァー大変と医師に診て貰ふと、之は立派な胃潰瘍で、充分養生しないと取返しのつかない事になりますよ、先づ固形物を食べないで、絶対流動食にして安静にする事等々、万事重症患者扱ひにされて了ふ。

右は、最初からのありふれた経路をかいたのであるが、実は斯ういふ人は今日少なくないのである。そこで初めからの事をよく考へてみると、初め胃の具合が悪かった時、放ってをけば直に治って了ったものを、何しろ医学迷信に陥ってゐる現代人は、薬を服まないと治らない、放っておくと段々悪くなると心配し、一刻も早く医師に罹ったり、売薬などを用ひたりする。そんな訳で全く薬によって重症胃病を作り上げて了ふ訳である。何と恐るべくして又愚な話ではないか。処がそれは斯うである。大体胃の薬というものは、勿論消化促進剤であり、消化剤は必ず重曹が土台となってゐる。衆知の如く重曹は物を柔かくする力があるので、煮物などによく使はれるが其理屈で常住消化薬を服むとすると、食物ばかりではない、胃壁をも段々柔かにして了ふ。そうなった時偶々固形物などを食ふと、ブヨブヨになった胃壁の粘膜に触れるから疵がつく、其疵から血液が漏れるのである。吐血の際鮮血色は新しい血で、破れた局所が大きい程多量に流出するのである。

処が人により珈琲色の液体や、それに黒い粒が見える事もあるが、之は古くなって変色した血で、粒とは血の固りである。又よく大便に黒い血の固りが交る事があるが、之は古い血で疵口から出た血液が胃底に溜り、固まったものが溶けて出たものである。然し此珈琲色の古血を吐く場合、非常に量も多いもので、一度に一升から二升位、毎日のやうに吐く患者さへあるが斯うなっても吾々の方では割合治りいいものとしてゐる。然し此病気は医学の方では仲々治り難いとされてゐるが、全く原因が薬であってみれば、お医者としたら具合が悪いに違ひない。何しろ薬を廃めなければ治らない病気であるからで、従って此病気は薬を廃めて気長にすれば、必ずと言ひたい程治るもので、其方法は最初血液を少しでも見る内は流動食にし、見えなくなるに従ひ、漸次普通食にすればいいのである。

胃病(岡田先生療病術講義録 昭和十一年七月)
胃病 (一)消化不良(医学試稿 昭和十四年)
(文明の創造 昭和二十七年)