ヒトミを入れる

私は前項の如く、世界画に就て概略述べてみたが、今度は彫像に例えて説いてみようと思ふのである。それは長い年月を費して出来上った現在の文化を深く検討する時、そこに何等統一がないのである。見よ凡ての国家も凡ゆる思想も、千差万別でその目標とする処は区々であって、歩調の伴はない事夥しい。国家間の戦争も階級闘争も、主義主張の摩擦も、主義による軋轢も意見の相違もその現はれである。

之等は何故であらうか、全く顔、頭、耳、鼻、口、手足、胴体等が個々別々に刻れつつあったのであるが、実はそこまでに気がつかなかったのである。それは吾等の常に唱ふる夜の世界即ち暗黒であったからである。処が最早天の時は茲に熟し来った。逾よ完成した彫像に眼を入れるのである。即ちヒトミを点ずる事となったのである。随而ヒトミを入れる事によって、生きた彫像否生々溌刺たる新世界生誕となるのである。逾よ地上天国の第一歩が肇まるのである。

ヒトミとは火と水である。火と水の密合が光であるから、此光の発現によって暗黒は滅消し、光明浄土の出現となるのである。従而此世界的彫像に向って最後のヒトミを入れるもの、それは何物か、いふ迄もなく神の霊光でなくて何であらう。輝く霊光を浴びつつ人類協力によって、永遠の平和確立の新世界誕生を祈るのである。

(昭和二十四年)