吉屋信子女史と語る

日ごろ、婦人公論から、私の面会記事を書きたいとの申込みがあったが、大抵な雑誌は断っている。私も同誌の歴史や信用を考え応諾したのである。ところが、訪問記者というのは吉屋信子女史とのこと、些か興味も加わり、楽しんで待っていたところが、約束の日の某日、約束の時間の午後の一時来訪された。実に一分と違わない正確さに私は驚いた。

当然のことだが、それが驚かれるとは、如何に今日の日本人が時間の観念に乏しいかということである。先ず初対面の女史を一見して意外に思ったことは、甚だ失礼だが、イヤ失礼でないかもしれないが、写真よりもズーッと美しく感じられ、しかもインテリ女性にみるような薄っペラさがなく、女傑型でない。重量感があり、どうしても文壇女人としての大御所型と見えたのである。こんなことをかくと人物評みたいだから本筋にとり掛ろう。

ありのまま言えば、女史の宗教観は失礼ながら、インテリ並の枠を出ないようである。

質問は勿論、信仰中心で随分突っ込んだ点もあり、この答弁は仲々難かしかった。というのは、本教に対する予備知識が殆んどないといってもいい位で、ただ二、三の本教刊行物を瞥見したに過ぎないようであったからである。私も出来るだけ奇蹟や神秘性と迷信臭さがなく、合理的に説き進め、納得がゆくよう努力したためか、女史もあまり反駁せず、相当理解されたようであった。

そんなわけで、約二時間に渉って面白く談話を交換したのである。無論、後味も悪くなかったとともに、特に私は好感を持てた一事は、女史が美術を愛好するという点である。

以上は、その時の感想を大まかにかいたのであるが、肝腎な質問応答等は、近日婦人公論誌上に出る筈であるから、読者は是非みられんことである。

(昭和二十五年五月)