善悪の真諦と光明世界の建設

霊界に於て現界に相応するのは八衢であるのがよく現われている。天国は上に行く程奇麗になり立派になって行く。

第三天国の建物は色々の材料を混ぜて使っている。第二天国の建物は石造りになっている。第一天国は皆木で造られている。檜のお宮は第一天国に相当するのである。天理教等は第二天国である。最奥天国は金銀又は宝石を使用して至極壮麗なもので、大体黄金を主にしているのである。

又最奥天国の天人は殆んど裸体である。よく絵等に天人が肌を出して帯の如き薄物をひらひらと掛けているが、是は空中を飛翔する時使用する物である。又最奥天国に行く程花が多いのである。

人が死ぬ時天人が迎えに来るというのは事実であって、信仰の厚いばかりでなく、多くは娘で処女で、亡くなった時の状態を見ることが多いのである。此の時は天人が紫雲に乗って音楽を奏しつゝ降って来て死んで行く霊も喜んで迎えられ、雲に乗って昇天して行くのである。

私の肉体は狐や狸の霊が見ると強い光で何だか解らん。是は東京の震災前の事であるが、私が天国で衣冠束帯で階梯(キザハシ)を昇って御簾の中へ入って行くのを見たと鎮魂された霊が話した。丁度天神様の様な冠で青い衣服に裾から赤い衣服が見えたという。それは鎮魂する時其の神様が来られて鎮魂なされて天国へお帰りになられたので、そのお帰りの状態を見せていたゞいたのであります。神様がお登りになった処が、其神様のお室となるのであります。

神様と人間との想念によりて天国になるのである。悪の想念なれば地獄となるのである。霊界は想念の世界であるから、相応の理により想念通りになるのである。此の会場でもいろいろの霊が来ています。それは自分達の祖先や友達の霊が来ているのであります。何とかして聞き度いものだという想念により其の人の生霊が来て居ります。その霊が聞いているから其の人も幾らかは何かの時に解ることがあるのは霊が聞いているからである。

この様にこの会場には何千人いるか解らぬ程いるのであります。霊は伸縮自在で針の穴の様な処でも潜り行くことが出来ます。霊はどんな戸締りのある処でも出入りが自由に出来ます。鎮魂の時に狐の霊などが出入が自由に出来ます。鎮魂の時に狐の霊が出て行くから戸を開けてくれ等といゝますが、是はインチキでありまして、戸締り等開けずとも出て行かれるのであります。

又下級の霊程小さいものである。霊でも救われた霊は人と殆んど同じ大きさなのである。八衢の霊も人間と同様位で、神格を得るに従って大きくなります。観音様の御姿はお座りになって鴨居位迄あって、私はこのお姿を見て書いたのが元本部の御神体になって居りました日の出観音様なのであります。殆んど裸で光明が非常に強くきらきらとしています。これは観音様の御姿の書き初めであったのですが、この為見当がつき書くのに非常に参考になったのであります。

ある小母さんを鎮魂の時聞かされたのであるが、「此の方は古い神である。名を言うことは出来んが彼の病人に魔が付いているから、其方に魔を払う事を教えに来たのである。艮の方へ塩を撒き、祝詞をあげる様に毎朝やれば癒る」との事でお引取りになられたのである。その小母さんが「随分喫驚しました。先生が鎮魂の時祝詞をあげられたら、急に大きな神様が木の葉の衣服を着て青、赤、紫でピカピカして綺麗で、頭の毛は後方に下げられて鉢巻をして居られた。座っていて鴨居位の大きさの神様であった」と。その通りにすると癒ったのであります。此の神様のお姿を其後大本教の出口王仁三郎先生に聞いたら、国常立尊の戦を遊ばされた時のお姿であると申されました。

その後先の小母さんは何んとなく私の宅に来にくゝって来る事が嫌で堪えられないのを無理に来られました処、鎮魂の際神様が出られて自分より他の霊の様な黒い物を殴打って出してくれた。これは小母さんが悪魔に憑かれて来る事が嫌になって来られなかったのを無理に来た為、神様が鞭で打ち追い出して下さったのであります。

神様の処へ来るのが嫌になったのは悪魔につかれて居るから悪魔が来させん様にしているのであって、信者や其他の人でも神様の所へ来るのが嫌になるのは、皆此の意味なのであります。此の様な時、何でも彼でも来れば悪魔は離れて終うのであります。此の類の霊は神様が怖くて、又光が怖ろしくて来られんのであります。

上級の霊は下へ降る事は出来るが、下級の霊は上へ行く事は出来ません。これは宮中へ下民が行くことが出来んが、天皇陛下は何処でもお出になることが出来る。人民と接触遊ばされる事が出来るのと同様である。

前に変死等した処では其後よく其処で死ぬ事が多い。之は変死した霊は此処に喰い付いて終うのであって、これを地縛の霊といって畳やレール等に喰い付いて離れることが出来ず、淋しい為自分は動く事が出来ぬ為、通行人やボンヤリしている人を引張り込むのである。此の為同じ処で事故を引起すのである。変死人のあった家は皆此の通りで、死んだ直後程霊が濃いのであって、死にたての霊の濃い為に幽霊が見えるのである。上級の霊程霊細胞が細(コマカ)いのである。又稀薄である。最上級の霊は稀薄であって光が出るのである。

癲癇は死霊が憑くのでありまして、死んだ時の有様を其儘見せて居ります。脳溢血で死んだ人のひっくり返る有様が癲癇に見る事が出来る。水死人ならば泡を吹き、水癲癇なれば水に落ちて死んだ人であり、火癲癇は火で焼死んだ人の霊が憑いているのである。

爆弾三勇士の霊は粉々となり、本人の意識が無くなり細くなってしまっているが、その中四、五日経過する内に段々と寄り集り、形が出来て来て立派に一人前になれば、此の霊は国家の為に死んだのでありますから、天国へ行けるのであります。

生きている時に天国や霊界を信じない人が死ぬと蘆花の霊などのように、言葉が幼稚園の子供位より出来ないのである。之は神仏を信ぜず霊界を知らぬ為死後の用意がないから中ぶらりんとなってしまう。無信仰の学者等は実に実に悲惨である。信仰のない人間は浮浪人となる。それが八衢で説教を聞いて各々自分の好きな団体へ行くのである。

ヨーロッパでは学者が霊の研究をしているが、日本では反対に否定したり、反対したりする。英国には神霊大学が五六個ある。ワード博士の霊界旅行は一週間一回位霊界へ呼ばれる。この間一、二時間無我の状態になり、二時間位で非常に沢山な霊界を探険することが出来るのである。今から十年位前死んだ人でロンドンタイムス社長が出る。霊の研究をする時ラッパを使用するのであるが、其のラッパが空中に上り、そのラッパから声が出て「私はロンドンタイムス社長だが主筆を呼べ」というから呼ぶと、主筆に向って色々と社の為によく色々の経営方針を教えたということであります。

神霊研究会の浅野和三郎氏の処で、霊媒亀井三郎氏により試験を行った事がある。先づ手や足は動けぬ様に椅子へ絡げ附けて置いて、霊の活動状態の試験を行って見た。先づ机上に夜光薬を塗った玩具を置き、電気を消して蓄音機を掛けて音楽を始める。暫くすると音楽により無念無想の状態に早くなるのである。レコード一枚位でポツポツ霊の活動が始まるのであって、玩具はツーッと角度のある迚も空中をよく飛行するのが夜光液の光でよく見える。ラッパがツーツーと空中を飛び乍らパッパッパーと鳴る、鳴りつゝ走る。走っているかと思うと、パッとラッパや玩具を途中から落す。そのラッパや玩具を投げるにも人に当らない様に投げる。其の内にテーブルが上にあがったりする。霊媒が椅子に縛られながら、着ている衣服の下に着ているシャツが、衣服は其儘シャツのみが脱がれて投げ出されてある。実に奇態な事である。然も霊媒たる本人は無我夢中になり居り、一寸直ぐには醒めない程に眠りこけている有様である。此の霊媒の醒めたのは十五分か二十分位かゝった。

此の霊媒に憑った霊は印度のバラモンの僧の霊が出て来て行ったのであって、此後で沢山の酒を飲まさんと明日は出来なくなるので、今夜、夜明位迄酒を飲ませねばならん、と言っていたのであるが、此の霊がやるのであるから、明るくては出て来ないのである。

(昭和十年八月二十五日)