余が発見せる風邪の原因と其療法

輓近(バンキン)医学は、非常に進歩したといふ。然し乍、罹病率の王者を占め、また重病の先駆的危険を有する風邪(フウジャ)の原因が未(イマ)だ、発見せられざると言ふに至っては、甚だ以て心細い限りと云はざるを得ない。然るに、余は数年来、独特の神霊療法を施行中、終に、此の風邪の本体を掴み得たのであって、人類の為、医学者の為、茲に其の「原因及治療」上参考となるべき、余が、研究成果を発表せんとするものである。但し、余は専門家に非ざるを以て、其の用語等不完全の点もあるべけれど、賢明なる諸士に於て、其の真意を汲まれん事を切望する次第なり。

先づ一度、風邪に犯さるゝや、其の症状としては一発熱、二咳嗽(セキ)、三喀痰、四鼻汁、五咽喉、六頭痛、七眩暈(メマイ)、八口腔の乾燥、九関節の疼痛等であらう。右の内、二三四五を除く外は、孰(イズ)れも発熱に起因するものである。初め先づ、患者の頚部の周囲より両肩部を、探査すべきであって、此の方法として、余は指頭を用ひて万遍なく押しつゝ探るのである。

此の時、必ず数ヶ所に、左の如き異触感の物体の在るを発見するであらう。即ち凝固せる、グリグリ又は稍(ヤ)や硬化せる贅肉状の物、又は板形状の固形物、又はプリプリせる袋状の物、又は弩張(ドチョウ)せる筋等である。併し之を最も適確に知るには、相当の熟練を要すれども、或程度迄なら何人にも探り当らるべし。

然らば、此の物体は何物なるやと言ふに、之こそ風邪の真因本体にして、此の不可解なる物体が、溜積して或程度を超(コ)ゆる時、初めて風邪に犯さるゝなり、此の物体を、余は指頭の霊感及透視感に依て按ずるに、それは不純なる膿血の凝体及び、不活動性の膿の凝結にして、風邪菌の活動刺戟に遇って、喀痰及鼻汁に変化すべき性質の物なり。されば斯の如き不純物質が、溜積せられたる時、偉大なる自然は、之を排泄浄化すべき大活動を起して、人類の肉体をして健康長寿たらしめんとす。

此の自然の浄化運動こそは、実に人間が「風邪」と名づけて、至極厄介視する其の物にして、何が故に、此の頚部肩部附近に、不純物が溜積さるるやといふに、そは人間が二六時中、呼吸しつゝある空気が、其根本原因にして即ち空気中の塵埃が絶へず肺臓に吸入さるゝを以て、肺臓は間断なく其等の塵埃を濾過溶解して、浄化作用をなさゞるべからず。

然し、其の浄化作用を為すと雖(イエドモ)、此の塵埃全部をして、跡方もなく零に迄、浄化さす事は不可能なるが故に、其の幾分の残渣(ザンサ)は、液体となって排除せらるゝなり、されば、其の残渣液体は、肺臓中の血管を通過昇流し、肺門部を出て、前述の頚肩部に、溜蓄されつゝ時日を経て、終に凝固するものなり。

然るに霊妙なる自然は、此の人間の肉体に、蓄積せられたる汚物を排除すべく、風邪菌なる「掃除夫」を派出するのである。此の菌が一度鼻口等より入らんか、忽ち活動を開始し、蓄積せる汚物の凝結体に向って突進し刺戟し溶解作業をなすなり、而して溶解されたる汚物は、鼻汁若くは喀痰となって旺んに口外へ排泄せらる。

而して、猶も霊妙なるは、此凝体汚物を溶解するには、熱の力を借らざるべからざるを以て、此掃除夫は熱を頻りに誘発して、自己の作業に便ならしめんと努むるなり。而して、此汚物排除工作が終りを告ぐるに従って、掃除夫は、徐々として引上ぐるべく人間は之を称して、全快と云ひ「安堵の胸」を撫で下ろすなり。而して此の風邪菌の発生に都合よき気候が、冬季にして寒風吹き荒む頃は最も活動力旺盛なり。

自然は、冬季に於ての人間の肉体大清潔法として、此風邪菌なる掃除夫を、無数に送って、人間の健康を資(タス)け、長寿を得さしめんとするなり、謂はゞ、神の恩恵的作業と言って然るべきである。故に万一、此清潔法を施行せざらんか、頚肩部に凝積せる汚物は、時の経るに従って倍々(マスマス)固結する性態を有するを以て、肺門よりの排泄物は出口を押へられ、茲に肺臓は残渣の停滞を来して、肺の病因を作る事となり、又一方脳髄へ送流する血液は、脈管を通過するに支障を来すを以て、脳貧血の病原を作る事ともなるなり。之を以て見れば、風邪なる病は、実は病と称すべきものに非ずして、人類の健康を保持すべき「救世主」にてあるなり。

故に、人間は汚物の未(イマ)だ多分に蓄積せられざる内に、風邪に罹るほど軽微に済むを以って出来るだけ冬季の初めに、清潔法施行を蒙るやう努むべきである。彼のマスクの如きは、如何に此の真理に、反するかは明かな事であらう。

従て余は風邪を避くると反対に、風邪を迎へ入るゝべくなすやう、多数人に試み居るが、其の好成績なるは実に意想外なるなり。最後に治療に就て述べんに、此の蓄積汚物は、余の指頭より放射する霊光に遇へば忽ち溶解して普通の風邪は、一回乃至三回位にて全治すべし。

併し風邪位は、自然に放任するも良く速く治るなれども、世人は此の理を知らざるを以て此の場合薬物、機械其の他の療法に頼らざれば病気の進む如く心配すれども、それは大なる誤りにて、却って一切の手当は掃除夫の清潔施行へ対し邪魔にこそなれ、決して聊かも助力とはならざるなり。但し一応医家の診断を受くるは、何等差支へなく安全と云ふべく、兎にも角にも、自然の掃除夫に一任なし居る程、治療の速なるは、経験に由って明かなり。只此の場合、頚肩部を掌にて摩擦するは相当の効果あり。

此の点に於て、彼の薬物一切を用ゐざる渋谷の、塩の谷博士及生長の家の谷口雅春氏の説等は斯界(シカイ)に於ける先覚者として、推奨すべき価値ある事を述べて置く。

(光明世界一号 昭和十年二月四日)