私は霊的研究と治病の実験を併せ行はふとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を浄霊した。二回の浄霊で些か効果が見え第三回目の時であった。私が浄霊にかかると側に見てゐた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って中腰になり、その形相物凄く、今将に私に掴みかからん気勢を示し「貴様は……貴様はよくも俺が殺そうとした娘をもう一息といふ所へ横合から出て助けやがったな。俺は腹が立って堪らねへから貴様をヒドイ目に合はしてやる」といふのである。
勿論男の声色で私は吃驚した。私は「一体あなたは何誰です、まあまあ落着いて下さい。」と宥めた処、彼は不承不承に座り曰く、彼「俺は広吉といふ者だ」私「一体貴方は此肉体とどういふ関係なのです?」彼「俺は此家の四代前の先祖の弟で広吉といふものだ。」私「では、あなたは何が為に此娘に憑いて取殺そうとしたのですか?」彼「俺は家出をして死んだ無縁の者だが誰もかまって呉れない。だから祀って貰ひたいと今迄此家の奴等に気を付かせようと病気にしたり種々の事をするが一人も気の付く奴がない。癪に触って堪らないから此娘を殺すのだ。そうしたら気がつくだらう。」私「併し貴方は地獄から出て来たのでせう。」彼「そうだ俺は永く地獄に居たが、もう地獄は嫌になったから祀ってもらひたいのだ。」私「然しあなたは此娘を取殺したら今迄よりもモッと酷い地獄へ落ちるが承知ですか?」と言った処、彼は稍々驚いて、彼「それは本当か?」私「本当どころか、私は神様の仕事をしてゐるものだ。嘘は決していへない。又貴方を必ず祀て上げる。」と種々説得した処、彼も漸く納得し共に協力して娘の病気を治す事になった。彼の挙動及び言語は江戸ッ子的で気持の良い男であった。幕末頃の市井の一町人であらう。そうしてM夫人は神憑り中無我で些かの自己意識もない、実に理想的霊媒であった。
其後娘の病気は順調に治癒に向ひつゝあったが、或日突然M夫人が訪ねて来た。「私は二三日前から何か霊が憑るやうな気がしますから一度調べてもらひたい。」といふので、早速私は霊査法を行った。先づ夫人が端座瞑目するや、私は先づ祝詞を奏上した。夫人は無我の状態に陥ったので質ねた。私「貴方は誰方です。」M「此方は神じゃ。」私「何神様ですか。」M「此方は魔を払ふ神じゃが名前は言へない。」私は思った。(予て神にも真物と贋物があるから気を付けなくてはいけないといふ事を聞いてゐたから、或は贋神かも知れない。騙されてはならない。)-と警戒しつつ質ねた。私「あなたは何の為にお出になりましたか?」M「其方が治してゐる娘は今魔が狙ってゐるから、その魔を払ふ事を教へてやる。」私「それは如何すればよいのですか?」M「毎朝、艮の方角へ向って塩を撒き、祝詞を奏上すればよい。」私は他の事を質いたが、それには触れず、「それだけ知らせればよい。」と言ってお帰りになった。
M夫人は覚醒し驚いた風で私に聞くのである。M「先生御覧になりましたか?」私は、「何をですか、別に何にも見えませんでした。」と言ふと夫人、「初め先生が祝詞をお奏げになると後の方からゴーッと物凄い音がしたかと思ふと、いきなり私の脇へお座りになった方がある。見ると非常に大きく座ってをられて頭が鴨居まで届き、お顔ははっきりしませんでしたが、黒髪を後へ垂らし鉢巻をなされてをり御召物は木の葉を細く編んだもので、其が五色の色にキラキラ光りとても美しく見えたのです。間もなく私に御憑りになったかと思ふと、何にも分らなくなりました。」との事で私は之は本当の神様に違ひないと思ひ、其後査べた所、国常立尊といふ神様である事が判った。
其事があってから二、三日後、M夫人は復訪ねて来た。「又何か憑りそうな気がしますから御査べ願ひたい。」と言ふので早速霊査に取かかると今度は前とは全然異ふ。私は、「何者か?」と訊くと、「小田原道了権現の眷族である。」と言ふので、「何の為に憑ったのか?」と訊くと、“お詫びをしたい”と言ふのである。「それはどういふ訳か?」「実は此婦人は道了権現の信者であるが、今度娘が荒神様の御力で助けられたので腹が立ち、邪魔してやらうと思った。所がそれを見顕はされて申訳がない。」と言ふのである。そう言ひ終るや夫人は横様に倒れた。瞑目のまゝ呼吸せはしく唸ってをったが五分位で眼を瞠き、「アゝ驚いた。最初黒い物が私の身体に入ったかと思ふと、又誰かが来て最初の黒い物を鞭のやうな物で打擲(チョウチャク)すると、黒い物は逃げて行った。」といふので私は-「二、三日前の神様の警告された魔といふのはこれだな。」と惟った。それから娘の病気は日一日と快くなり、遂に全快したのである。
仍で私も広吉の霊を祀ってやった。これより先或時広吉の霊が夫人に憑って曰く、「自分はお蔭様で近頃は地獄の上の方に居る様に成り大きに楽になった。」と言って厚く礼を舒(ノ)べ、次いで「お願ひがある。」といひ「それは毎朝私の家の台所の流しの隅へ御飯を三粒、お猪口にでも入れていただきたい。」といふのでその理由を訊くと、彼は、「霊界では一日飯粒三つで充分である。又自分は台所より先へは未だ行けない地位にある。」と言ふ。其後暫くして彼は「梯子の下まで行ける様になった。」と言った。それは其頃私の家では二階に神様を祀ってあったからで、其後「神様の次の部屋まで来られる様に成った。」と言ふので私は、「モウよかろう。」と祀ってやった。
それから二、三日経って私が事務所で仕事をしてゐると私に憑依したものがある。而も嬉しくて涙が溢れるやうな感じなのだ。直ちに人気のない部屋に行き、憑依霊に訊いた処、広吉の霊であった。彼曰く、「私は今日御礼に参りました。私がどんなに嬉しいかといふ事はよくお解りでせう。」といひ又「別にお願ひがある。」と言ふのである。「何か?」と訊くと、「それは今度祀って戴いてから実に結構で、何時迄も此の儘の境遇でありたいのです。娑婆はモウ凝りごりです。娑婆では稼がなければ食ふ事が出来ず、苦しみばかり多くて実に嫌です。再び娑婆へ生れないようどうか神様へお願ひして戴きたい。」と言ひ終って厚く礼を述べ帰った。之に依て察すると死ぬ事は満更悪い事ではなく、霊界往きも亦可なりと言ふべきである。そうして霊界に於ては礼儀が正しく助けた霊は必ず礼に来る。其手段として人の手を通じて物質で礼をする事もある。よく思ひがけない所から欲しいものが来たり貰ったりする事があるがそういふ意味である。
M夫人は理想的霊媒で尠からぬ収穫を私に与へたが、斯ういふ事もあった。或時嬰児の霊が憑った。全く嬰児そのまゝの泣声を出し、その動作もそうである。私は種々質ねたが、嬰児の事とて語る事が出来ない。やむを得ず「文字で書け。」と言った処、拇指で畳へ平仮名で書いた。それによってみると「生まれるや間もなく簀巻(スマキ)にされて川へ放り込まれ溺死し、今日迄無縁になってゐたので祭ってくれ。」といふので私が諾(ウベナ)ふと欣(ヨロコ)んで去った。右の文字は霊界の誰かが嬰児の手を取って書かしたものであらう。
又或時憑依霊へ対し何遍聞いても更に口を切らない。種々の方法を以て漸く知り得たが、それは松の木の霊で、その前日その家の主人が某省官史でそこの庭にあった松の木の枝を切って持ちかへり、神様へ供へたのであったが、その松に憑依してゐた霊で、彼の要求は「人の踏まない地面へ埋めて祝詞を奏げてもらひたい。」といふのでその通りにしてやった。
(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)