労働問題実験記

私は現在、箱根及び熱海の景勝地に地上天国の模型を造りつつあるが、それに従事している労務者は凡そ百数十人である。そのうち大体半数が信者で、半数が未信者である。信者は勿論勤労奉仕であるから無賃金で、能率は非常に高く、実に涙ぐましい程真剣な活動をしており、勤労日数は十日交代と一ケ月交代の二種にしている。然しここでは右の信者以外の有賃勤労者に就てかくのである。

右の造営は一切私の企画設計によって行はれており、建築の構想はもとより庭園の一木一草一石に至るまで、私の指示にならぬものはない。之は何も私の能力を誇ろうとするのではないがそれを言はなければこの文は出来ないからである。

私は数年前より一ケ年のうち箱根へ四ケ月、熱海へ八ケ月滞在し、信仰的各般の仕事の外、造営の経営に当っているので、右の如く箱根か熱海かの何れかは不在という事になる。不在中は一二回行く事もあるが、全然行かない事もある。勿論年二回引移る際、一方は四ケ月分、一方は八ケ月分だけの企画をそれぞれの主任に指示すると共に不在期間中は部下に命じて進捗の状態を報告させ、それによって新たな企画を次々指示通達させている。それに就て私が試みつつある新しい労働者待遇の実状を発表してみよう。

労働の種類は言うまでもなく土木建築に関するものばかりであるが、それぞれの集団にはその主任に一任しており、その主任の意志通りが行はれている。私の方針としては全然自由主義的であって、例えば出勤も退場も時間などの規定はあまりない。というのは全然請負制度は行はないためで主任と雖もその配下の労働者に対し労働能力に干渉する必要がないからである。したがって勤労者は自由意志で従事している。判り易くいえば自分自身の仕事をやっているような気持でその仕事を楽しんでやっているのである。かような訳で最初入りたての勤労者は世間並的お座なり的でやっていたものも漸次前述のように自分のものを造るような気持に変ってゆくのである。

以上のようであるから、不平不満な空気はない。全員和気あいあいとして労働問題など薬にしたくもないのである。そうして彼等の仕事ぶりを見るとただ良く造る。私の気に入るように造るという意欲で一杯であるから、仕事の出来栄えは世間に見ない程の優秀さを示しているばかりか仕事の都合では夜暗くなるまで電燈をつけながらやっているのを私はしばしば見るのである。

私の主義としては人間は横着や狡い事はしないものとして扱ふのである。もちろん独り労働者の待遇ばかりがそうではない、私は凡ての部下に対しても人間は正直なもの、不正はしない者として扱っているから、自他共に気持がよく愉快に満ちている。したがって狡い事をしたければいくらでも出来るのである。尤も殆んど信仰者であるからでもあるが、私はいつも思ふ事はこの社会全般が上の人も下の人も私がやっているような関係であるとすれば、如何に気持のいい世の中となるばかりか能率も非常に挙る事は勿論である。

以上が五六七の世に於ける労資の関係であって、それを私は今試験的に実行しつつあるので、その成績を茲に発表した次第である。今日やかましい労働問題に対し何等か参考になるとすれば幸甚である。

(光新聞四十号 昭和二十四年十二月十七日)